

戦略論・再考
June 12, 2010
日常のビジネス・シーンで頻繁に飛び交う【戦略】という言葉。ご存知のとおり、もともとは軍事用語だった。資本主義経済下では、企業としての強さは「他社
に対していかに競争優位を確立できるか」で決まることが前提となり、ここに企業経営は生存【競争】としての色彩を色濃くすることとなる。他社に対していか
に競争優位を確立できるか、すなわち差別化が競争優位の源泉であるとしたのが、かの有名なM.E.ポーターが提唱した【競争の戦略
】で、これを契機に戦略という言葉が一人歩きを始めたといっても過言ではないだろう。
それ以降、この【戦略】という言葉がコモディティ化し、日常的に使われているわけだが、その本質的な意味合いがおざなりのままに使用されているケースが多 い。とくに顕著なのが、いわゆる【戦術】レベルのオペレーションが【戦略】という言葉に置き換えられていることだ。言葉に対する安易な理解に端緒を発して いるように思える。ではなぜ、言葉への誤認が問題なのだろうか。
たとえば中小企業の経営者などによく聞かれる「うちの会社は集客が課題だ。集客をうまく機能させないといけない」という悩み。これはマーケティング活動の 結果論で、集客という戦術がうまく功を奏さなかったということの成果であり、そもそもの根本である「ある目的を達成するための統合的な考え方」が誤ってい たことになる。この根本といえるものが【戦略】なのだが、前述のような悩みをため息まじりにおっしゃる経営者の方にとっては、この「集客」自体が起点とな る【戦略】と混同しているがために、それ以上の発想ができないのである。
「結果」としての「集客」が上手くいかないということは、大局的な観点から事業をクリエイトできていない、もともと意図していたこと、つまりは「企業戦略」が誤っているのだといえるわけだ。
余談だが「集客というオペレーション自体がマーケティングなんだ」と、勘違いしていらっしゃる方が中小企業に多い。賛否両論はあるが、マーケティングとは いかに【顧客視点】で、市場で起きている事象をとらえ、いかに価値を提供するかという、ある意味では思想や哲学のようなものなのだ。この点では佐藤氏の見 解とも一致しており、この起点が同一のものであるから余計に共感できるわけだが。
では、その【戦略】の本来的な意味とは何なのか。学術的な定義は「ある目標やビジョンを達成するために、大局的観点から執行計画を立案し、効果的に資源を 配分し、実行の優先順位を定めること。」ということになる。佐藤氏の言葉を借りれば、「目的に対しての行動の最適化」「勝つための道筋」である。戦術は 「戦略に基づき、それを実行していく具体的な方法論(術)」だ。
何が言いたいのかというと、【戦略】とは効率的な資源配分・補給を計画し、「陣容を整えること」を指す。つまりは【戦略】とは、開戦以前の問題なのだ。いかに効率的に戦闘が行なえるかを意図すること。
古参企業では夢のような数字の予算立てをし、経営計画書としてまとめたものを戦略と勘違いされている方が多いのだが、本当の戦略とはそれを実現するための具体的方策のことを指すのだ。
整理すると、ある目標を達成するための道筋が戦略である。その戦略を具体的に執行するためのオペレーションが戦術となり、さらにその戦術を構成するタスクが戦闘なのである。
これを相撲にたとえると、秋場所に参戦するのか休場するのかという判断、参戦するのであれば体重を何キロにするのか、投げ技で勝負するのか、機動力で勝負 するのかといった、そもそもの帰趨する判断が戦略となる。そして取り組みとなり、いわゆる四十八手によるコンビネーションは戦術となる。取り組みも拮抗 し、そろそろ雌雄を決するという場面でうまく上手が取れるかどうかというのが戦闘ということになる。
「孫子曰く。昔の善く戦う者は、先ず勝つ可からざるを為して、以て敵の勝つ可きを待つ。」
「夫れ未だ戦わずして廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るを況や算なきに於いてをや。吾れ此れを以てこれを観るに、勝負見わる。」
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず。敵を知らず、己を知らざれば、戦うごとすなわち危うし」
という孫子の 兵法から、戦略の本質を見事に表している文節を好き勝手に抜粋してみたが、これらの教えのとおり、昔から戦略というものは情報戦としての色合いが濃い。情 報を制する者が戦いを制すとはよく言ったもので、自社および自社を取り巻く環境を正しく評価し、しかるべく明確な将来像を有することが戦略立案の要諦とい える。
松田 真実@次世代マーケターの理論武装

それ以降、この【戦略】という言葉がコモディティ化し、日常的に使われているわけだが、その本質的な意味合いがおざなりのままに使用されているケースが多 い。とくに顕著なのが、いわゆる【戦術】レベルのオペレーションが【戦略】という言葉に置き換えられていることだ。言葉に対する安易な理解に端緒を発して いるように思える。ではなぜ、言葉への誤認が問題なのだろうか。
たとえば中小企業の経営者などによく聞かれる「うちの会社は集客が課題だ。集客をうまく機能させないといけない」という悩み。これはマーケティング活動の 結果論で、集客という戦術がうまく功を奏さなかったということの成果であり、そもそもの根本である「ある目的を達成するための統合的な考え方」が誤ってい たことになる。この根本といえるものが【戦略】なのだが、前述のような悩みをため息まじりにおっしゃる経営者の方にとっては、この「集客」自体が起点とな る【戦略】と混同しているがために、それ以上の発想ができないのである。
「結果」としての「集客」が上手くいかないということは、大局的な観点から事業をクリエイトできていない、もともと意図していたこと、つまりは「企業戦略」が誤っているのだといえるわけだ。
余談だが「集客というオペレーション自体がマーケティングなんだ」と、勘違いしていらっしゃる方が中小企業に多い。賛否両論はあるが、マーケティングとは いかに【顧客視点】で、市場で起きている事象をとらえ、いかに価値を提供するかという、ある意味では思想や哲学のようなものなのだ。この点では佐藤氏の見 解とも一致しており、この起点が同一のものであるから余計に共感できるわけだが。
では、その【戦略】の本来的な意味とは何なのか。学術的な定義は「ある目標やビジョンを達成するために、大局的観点から執行計画を立案し、効果的に資源を 配分し、実行の優先順位を定めること。」ということになる。佐藤氏の言葉を借りれば、「目的に対しての行動の最適化」「勝つための道筋」である。戦術は 「戦略に基づき、それを実行していく具体的な方法論(術)」だ。
何が言いたいのかというと、【戦略】とは効率的な資源配分・補給を計画し、「陣容を整えること」を指す。つまりは【戦略】とは、開戦以前の問題なのだ。いかに効率的に戦闘が行なえるかを意図すること。
古参企業では夢のような数字の予算立てをし、経営計画書としてまとめたものを戦略と勘違いされている方が多いのだが、本当の戦略とはそれを実現するための具体的方策のことを指すのだ。
整理すると、ある目標を達成するための道筋が戦略である。その戦略を具体的に執行するためのオペレーションが戦術となり、さらにその戦術を構成するタスクが戦闘なのである。
これを相撲にたとえると、秋場所に参戦するのか休場するのかという判断、参戦するのであれば体重を何キロにするのか、投げ技で勝負するのか、機動力で勝負 するのかといった、そもそもの帰趨する判断が戦略となる。そして取り組みとなり、いわゆる四十八手によるコンビネーションは戦術となる。取り組みも拮抗 し、そろそろ雌雄を決するという場面でうまく上手が取れるかどうかというのが戦闘ということになる。
「孫子曰く。昔の善く戦う者は、先ず勝つ可からざるを為して、以て敵の勝つ可きを待つ。」
「夫れ未だ戦わずして廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るを況や算なきに於いてをや。吾れ此れを以てこれを観るに、勝負見わる。」
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず。敵を知らず、己を知らざれば、戦うごとすなわち危うし」
という孫子の 兵法から、戦略の本質を見事に表している文節を好き勝手に抜粋してみたが、これらの教えのとおり、昔から戦略というものは情報戦としての色合いが濃い。情 報を制する者が戦いを制すとはよく言ったもので、自社および自社を取り巻く環境を正しく評価し、しかるべく明確な将来像を有することが戦略立案の要諦とい える。
松田 真実@次世代マーケターの理論武装




インプルーヴ・マーケティング(2)
June 12, 2010
以前に掲載した『インプルーヴ・マーケティング』について、事例を交えて検証したいと思う。インプルーヴ・マーケティングとは、ブランド価値や意味性と
いった付加価値、つまり「情報」を付加することで「目に見えない価値」を向上させ、情緒的ベネフィットを増大させようというもの。そして、その付加すべき
「情報」として、「物語性」を加味してやることが有用だということ。一見するとすごく新しいことを言っているように映るかもしれないが、これは1980年
代ごろから検証されていた考え方をベースにしたものである。当時、電通にいた福田敏彦(現・法政大学
教授)氏が中心となって提唱していたストーリー・マーケティングという理論。商品は使用価値ではなくて記号的な価値によって流通するというボードリヤール
的な、いわゆる記号論を背景としたマーケティング理論が存在していた。彼らは「物語」という記号的価値に行きつき、商品を一つのストーリーのメディアとし
て見なしていた。一定のストーリーを喚起する情報を商品に付加して、受け手の側が断片的な情報を組み合わせて、ある程度自発的に個々の生活者がストーリー
を作り上げていく、つまり「物語性」を形態として商品に付加する試みがストーリー・マーケティングであり、そこから「ビックリマン」チョコレートを例に
取って、大きな物語あるいは秩序が商品の背後に存在することで、個別の商品は初めて価値を持ち消費されるような現象が、いわゆるサブカルチャーという閉鎖
的な世界で適用されているのではないかと提示したのが、大塚英志の有名な「物語消費論」である。しかし現代社会においては、物語性を「形態」として付加し
た、一つの物語の断片として商品を提示するのではなく、「情報」という無形の資産を付加することで、「商品」そのもの、または「自己」の人生という大きな
物語の中に「自己」、もしくは「商品」を位置づけてやることが有効なのではないかというのが、僕の「インプルーヴ・マーケティング」という論考である。
少し記述が複雑になったので、『インプルーヴ・マーケティング』の内容を踏まえて整理しておくと、情報として付加すべき「物語性」には2つの視点がある。 1つ目は、生活者本人(「自己」)の人生を一つの物語と見立てて、自分らしい生活を行う上での選択として「商品」を位置づける。2つ目は企業やブランド、 「商品」にまつわるエピソードや歴史、哲学の中に生活者本人、つまり「自己」を位置づけるというものだ。先にも述べたが、この論考は全く新しい考え方に立 脚したものというわけではない。80年代のストーリー・マーケティングの延長線上で、特に広告戦略の中で発達したものがストーリーCMという手法で、今で も頻繁に使用されている。つまり昨今のヒット現象を分析すると、これらの要因がより重要性を増してきていると考えられるのだ。その重要性は多大な投資を必 要とするテレビCMだけに適用されるわけではなく、むしろ統合的なプロモーションの中で構築され得るものである。その優位性は、どれだけ提示した物語への 誘引力が強いかということになる。
それでは「自己」という物語の中に「商品」を位置づけた好例を挙げよう。2005年にチョコレートの持つリラックス効果を前面に出し、「メンタルバランス チョコレート」というブルー・オーシャンを創出した、チョコレート・ブームの火付け役、江崎グリコの『GABA』。現代社会に潜む病理として顕在化してき たストレス。もはや人生はストレスとの闘いと言っても過言ではない。そんな誰もが身近に接し、隣り合わせに生活している状況にあって、「チョコレートで ほっとしよう。」「ストレス社会で闘うあなたに。」というメッセージを発することによって、「自己」の人生の中にひとときの「やすらぎ」として位置づけた のがこのGABAである。サラリーマンのありふれた日常を描いたテレビCMに加え、サラリーマンの、サラリーマンによる、サラリーマンのための笑いを提供 するエンターテイメント・マガジン、その名も『GABAリーマン』なるサイトを活用し、物語性を展開している。そしてもう一つの事例が、某ハウスメー カー。新築一戸建てといえば人生で最も大きな買い物。大きな決断をして自社商品を購入してくれた顧客に対して、この会社では毎年クリスマスに社員がサンタ クロースの衣装に身を包み、各家庭を訪問している。子供のいる家庭は大喜び、噂が噂を呼び、既存顧客からの紹介受注は絶えないという。このケースの場合 は、「自己」の物語の中に「商品」を位置づけたと同時に、「商品」という物語の中に「自己」をも位置づけることのできた好例だ。
他方、「商品」そのものの物語の中に「自己」を位置づけたケースは、2006年3月発売の『TSUBAKI』だ。4兆4758億円(2006年予測 富士経済研究所)といわれるヘアケア市場において、シェア4番手だった資生堂が初年度50億円の宣伝費を投じ、発売5ヶ月あまりで約100億円の年間目標 に達し、シャンプーではトップに立ったメガブランド。"古来より髪の手入れに使われてきた"つばき油を含む独自開発の保湿成分を配合、「日本の女性は美し い」というメッセージによって輝く女性としての「自己」を位置づけたことが要因と考えられる。また、僕のお気に入りであるモトローラ社製ドコモのFOMA 「M702iS」。これは「各国セレブリティや映画・ファッション業界からのラブコールが絶えない機種」という触込みで日本市場に登場した。そしてそれを 裏付けるかのように、海外ではドルチェ&ガッパーナ仕様のモデルを発売。テレビCMにはサッカー・イングランド代表のベッカムを起用し、世界で一台のベッ カム仕様として特別モデルを楽天オークションに出品した。これが僕の記憶だと1000万円近い金額で落札されていたように思う。さらにモトローラのすごい ところは、全国の販売店やNTTドコモの地域会社などに「モトローラ大使」と名付けた営業人員を200人規模で派遣し、これらの伝説の語り部として口承の 任に充てていたことだ。マーケティング・カンパニーといわれる企業のプロモーションは、実に余念がないことに驚かされる。
以上、2つの視点からインプルーヴ・マーケティングを概観してきた。今現在、ヒット商品と呼ばれるものの根底に、これらの要因が潜んでいることを皆様にご 理解いただければ幸いだ。それにしても、ここ3ヶ月ほど各メディアから情報を収集しても、目を引く記事がなく直近の事例に乏しいのが残念ではあるが、また 折を見て言及していくつもりなのでご期待を。メディア各社の皆さん、もっとコンテンツを充実させてください!
松田 真実@次世代マーケターの理論武装
少し記述が複雑になったので、『インプルーヴ・マーケティング』の内容を踏まえて整理しておくと、情報として付加すべき「物語性」には2つの視点がある。 1つ目は、生活者本人(「自己」)の人生を一つの物語と見立てて、自分らしい生活を行う上での選択として「商品」を位置づける。2つ目は企業やブランド、 「商品」にまつわるエピソードや歴史、哲学の中に生活者本人、つまり「自己」を位置づけるというものだ。先にも述べたが、この論考は全く新しい考え方に立 脚したものというわけではない。80年代のストーリー・マーケティングの延長線上で、特に広告戦略の中で発達したものがストーリーCMという手法で、今で も頻繁に使用されている。つまり昨今のヒット現象を分析すると、これらの要因がより重要性を増してきていると考えられるのだ。その重要性は多大な投資を必 要とするテレビCMだけに適用されるわけではなく、むしろ統合的なプロモーションの中で構築され得るものである。その優位性は、どれだけ提示した物語への 誘引力が強いかということになる。
それでは「自己」という物語の中に「商品」を位置づけた好例を挙げよう。2005年にチョコレートの持つリラックス効果を前面に出し、「メンタルバランス チョコレート」というブルー・オーシャンを創出した、チョコレート・ブームの火付け役、江崎グリコの『GABA』。現代社会に潜む病理として顕在化してき たストレス。もはや人生はストレスとの闘いと言っても過言ではない。そんな誰もが身近に接し、隣り合わせに生活している状況にあって、「チョコレートで ほっとしよう。」「ストレス社会で闘うあなたに。」というメッセージを発することによって、「自己」の人生の中にひとときの「やすらぎ」として位置づけた のがこのGABAである。サラリーマンのありふれた日常を描いたテレビCMに加え、サラリーマンの、サラリーマンによる、サラリーマンのための笑いを提供 するエンターテイメント・マガジン、その名も『GABAリーマン』なるサイトを活用し、物語性を展開している。そしてもう一つの事例が、某ハウスメー カー。新築一戸建てといえば人生で最も大きな買い物。大きな決断をして自社商品を購入してくれた顧客に対して、この会社では毎年クリスマスに社員がサンタ クロースの衣装に身を包み、各家庭を訪問している。子供のいる家庭は大喜び、噂が噂を呼び、既存顧客からの紹介受注は絶えないという。このケースの場合 は、「自己」の物語の中に「商品」を位置づけたと同時に、「商品」という物語の中に「自己」をも位置づけることのできた好例だ。
他方、「商品」そのものの物語の中に「自己」を位置づけたケースは、2006年3月発売の『TSUBAKI』だ。4兆4758億円(2006年予測 富士経済研究所)といわれるヘアケア市場において、シェア4番手だった資生堂が初年度50億円の宣伝費を投じ、発売5ヶ月あまりで約100億円の年間目標 に達し、シャンプーではトップに立ったメガブランド。"古来より髪の手入れに使われてきた"つばき油を含む独自開発の保湿成分を配合、「日本の女性は美し い」というメッセージによって輝く女性としての「自己」を位置づけたことが要因と考えられる。また、僕のお気に入りであるモトローラ社製ドコモのFOMA 「M702iS」。これは「各国セレブリティや映画・ファッション業界からのラブコールが絶えない機種」という触込みで日本市場に登場した。そしてそれを 裏付けるかのように、海外ではドルチェ&ガッパーナ仕様のモデルを発売。テレビCMにはサッカー・イングランド代表のベッカムを起用し、世界で一台のベッ カム仕様として特別モデルを楽天オークションに出品した。これが僕の記憶だと1000万円近い金額で落札されていたように思う。さらにモトローラのすごい ところは、全国の販売店やNTTドコモの地域会社などに「モトローラ大使」と名付けた営業人員を200人規模で派遣し、これらの伝説の語り部として口承の 任に充てていたことだ。マーケティング・カンパニーといわれる企業のプロモーションは、実に余念がないことに驚かされる。
以上、2つの視点からインプルーヴ・マーケティングを概観してきた。今現在、ヒット商品と呼ばれるものの根底に、これらの要因が潜んでいることを皆様にご 理解いただければ幸いだ。それにしても、ここ3ヶ月ほど各メディアから情報を収集しても、目を引く記事がなく直近の事例に乏しいのが残念ではあるが、また 折を見て言及していくつもりなのでご期待を。メディア各社の皆さん、もっとコンテンツを充実させてください!
松田 真実@次世代マーケターの理論武装




第三回 コトラーを語る!
June 12, 2010
コトラー・マーケティングといえば『STP』、つまり、市場を細分化し(S=セグメンテーション)、標的市場を定め(T=ターゲティング)、提供すべき価
値を明確化する(P=ポジショニング)というセグメント・マーケティングを提唱した人物である。これは言うまでもなく、現代のマーケティング理論の基礎と
なる考え方で、非常に重要なポイントである。これに関連して、僕のクライアントやこのブログを閲覧してくださった方から寄せられる相談に、「自社の顧客が
見えない。」「ニーズはあるはずなのだが、ターゲットが定まらない。」というものが多い。この問題はそもそも自社の経営理念に起因していることが少なくな
い。優れた理念というのは『「誰」に、「何」を提供し、それによって我々は「何を成しうるのか」』ということが明確に説明されている。つまり、社員の行動
基準や判断基準の拠り所となる理念自体が戦略であり、その文言の中でセグメンテーション、ターゲティング、ポジショニングがすでになされているのだ。要
は、この部分が明確ではないために、事業自体が定まっていないというケースがある。実際は建前や体裁によって策定されることの多い企業理念の重要性がここ
にあるのだ。もしも自社で思い当たる節があり、見直してみようということであれば、以前に書いた「言葉のチカラ」が助力になるかもしれない。
さて、繰り返しになるが、僕はコトラーを否定しているわけではない。僕自身、コトラーの理論を指針としているし、コトラーの時代を先取りした種々の指摘 は、経営の本質を提起するもので、その指摘からも教訓を享受している。前回の記事の中で僕が挙げた問題点で、最も重要な点はコトラーの説く『マーケティン グ志向』への誤った解釈にある。つまり、運用する側の問題なのである。本質を理解していないマーケッターは、一旦「潜在的なニーズを見つける」となると、 とかくフォーカスグループ・インタビューやアンケート調査といったマーケット・リサーチ(市場調査)が至上命題という固定観念に陥る。しかし調査というの は有効と思われるビジネス・アイディアを、定量的に検証するためのものであり、調査がビジネス・アイディアを創出するわけではない。つまり、マーケッター 自身が起点となって創出した顧客が気づいていない価値に対して、需要がどの程度あるかを測定することに、はじめて調査の有効性はあるのだ。この事実は、僕 らマーケティング業界の人間にとっては不都合なことである。調査というオプション自体が一大産業になっているわけだから、自分の首を絞めるようなものだ。 僕自身も調査案件は受けるし、調査案件だけで成り立っているマーケティング会社は数多とある。しかしながら、マーケティング会社が入ったことによって、業 績が良くなったということもなければ、マーケティング会社のアウトプットが真に成果を発揮するものならば、未来永劫に日本の景気は右肩上りのはずだ(試し に企業名鑑でマーケティング会社の企業数を数えてみればいい)。それどころか、企業を支援すべきステークホルダーたる調査会社の多くは、得られたデータを 自社の都合の良い様に改ざんしてしまうケースすらある。というのも、彼らの最大のインセンティブは、持続的な取引にある。企業への辛らつな中傷等によって 課題や問題点を浮き彫りにするデータは、下手をすれば自社の心象を悪くすることもある。それよりは当たり障りのない、とっつきやすいデータを提示する方 が、持続的なリレーションシップを築けるのではないかという発想に陥るわけだ。かくして企業には、必ずしも真に顧客の意志が反映された結果が手渡されるわ けではないという問題点が浮上するのである。
「外から内」の『マーケティング志向』というコンセプトに対して、第一回で説明した『販売指向』と同様の、「内から外」という性質を有したものに『シーズ 志向』というものがある。これも以前書いた記事に詳しいが、端的に言えば「作り手の意志を尊重して市場に商品を提案する」ことである。これは言うまでもな く、起点が顧客ではなく作り手なのだ。ただ販売指向と違うのは、販売指向は既存の商品を扱うのに対して、シーズ志向は作り手の意志を製品づくりに反映する ことから始まる。特にスピード感が命の中小企業にあっては、潤沢な経営資源を前提とするマーケティング志向よりもその有用性は大きい。また顧客との継続的 な関係性の構築という観点からも、ニーズの充足を刷新していくことによって関係性を維持するマーケティング志向よりも、明確な作り手の意志から生まれた商 品哲学・意味性によって成り立つシーズ志向の方が、顧客を魅了し、惹きつけられるのではないかと僕は考える。現に今、ブランドと呼ばれるものは後者のもの が多い。
このほどipodの販売台数が1億台を突破し、今なおiフォン、アップルTVといった画期的な商品を世に送り出しているアップル。そのipodを例にとる と、MP3のように、すでに商品のコンセプトは存在していた。ipodを考え出したデザイナーのトニー・ファデルは、ハイテク・オタクのようなイノベー ターにしか受け入れられていなかったMP3の有用性に「共感」する。そして、CDを持ち歩かずに済むよう、たくさんの曲を一つの本体に入れられないものか という欲求を「想い出し」、単なる携帯型デジタルミュージックプレーヤーではなく、ファッション性を備えた美しい作品として、ipodを「提案」したの だ。
重要なことは、アップルは顧客の声を汲み取ってipodを開発したわけではない。トニー・ファデルという個人が起点となって、世に「提案」したのだ。そして、この「提案する」という姿勢が、ブランドにおいて最も重要なキー・ファクターなのである。
松田 真実@次世代マーケターの理論武装
さて、繰り返しになるが、僕はコトラーを否定しているわけではない。僕自身、コトラーの理論を指針としているし、コトラーの時代を先取りした種々の指摘 は、経営の本質を提起するもので、その指摘からも教訓を享受している。前回の記事の中で僕が挙げた問題点で、最も重要な点はコトラーの説く『マーケティン グ志向』への誤った解釈にある。つまり、運用する側の問題なのである。本質を理解していないマーケッターは、一旦「潜在的なニーズを見つける」となると、 とかくフォーカスグループ・インタビューやアンケート調査といったマーケット・リサーチ(市場調査)が至上命題という固定観念に陥る。しかし調査というの は有効と思われるビジネス・アイディアを、定量的に検証するためのものであり、調査がビジネス・アイディアを創出するわけではない。つまり、マーケッター 自身が起点となって創出した顧客が気づいていない価値に対して、需要がどの程度あるかを測定することに、はじめて調査の有効性はあるのだ。この事実は、僕 らマーケティング業界の人間にとっては不都合なことである。調査というオプション自体が一大産業になっているわけだから、自分の首を絞めるようなものだ。 僕自身も調査案件は受けるし、調査案件だけで成り立っているマーケティング会社は数多とある。しかしながら、マーケティング会社が入ったことによって、業 績が良くなったということもなければ、マーケティング会社のアウトプットが真に成果を発揮するものならば、未来永劫に日本の景気は右肩上りのはずだ(試し に企業名鑑でマーケティング会社の企業数を数えてみればいい)。それどころか、企業を支援すべきステークホルダーたる調査会社の多くは、得られたデータを 自社の都合の良い様に改ざんしてしまうケースすらある。というのも、彼らの最大のインセンティブは、持続的な取引にある。企業への辛らつな中傷等によって 課題や問題点を浮き彫りにするデータは、下手をすれば自社の心象を悪くすることもある。それよりは当たり障りのない、とっつきやすいデータを提示する方 が、持続的なリレーションシップを築けるのではないかという発想に陥るわけだ。かくして企業には、必ずしも真に顧客の意志が反映された結果が手渡されるわ けではないという問題点が浮上するのである。
「外から内」の『マーケティング志向』というコンセプトに対して、第一回で説明した『販売指向』と同様の、「内から外」という性質を有したものに『シーズ 志向』というものがある。これも以前書いた記事に詳しいが、端的に言えば「作り手の意志を尊重して市場に商品を提案する」ことである。これは言うまでもな く、起点が顧客ではなく作り手なのだ。ただ販売指向と違うのは、販売指向は既存の商品を扱うのに対して、シーズ志向は作り手の意志を製品づくりに反映する ことから始まる。特にスピード感が命の中小企業にあっては、潤沢な経営資源を前提とするマーケティング志向よりもその有用性は大きい。また顧客との継続的 な関係性の構築という観点からも、ニーズの充足を刷新していくことによって関係性を維持するマーケティング志向よりも、明確な作り手の意志から生まれた商 品哲学・意味性によって成り立つシーズ志向の方が、顧客を魅了し、惹きつけられるのではないかと僕は考える。現に今、ブランドと呼ばれるものは後者のもの が多い。
このほどipodの販売台数が1億台を突破し、今なおiフォン、アップルTVといった画期的な商品を世に送り出しているアップル。そのipodを例にとる と、MP3のように、すでに商品のコンセプトは存在していた。ipodを考え出したデザイナーのトニー・ファデルは、ハイテク・オタクのようなイノベー ターにしか受け入れられていなかったMP3の有用性に「共感」する。そして、CDを持ち歩かずに済むよう、たくさんの曲を一つの本体に入れられないものか という欲求を「想い出し」、単なる携帯型デジタルミュージックプレーヤーではなく、ファッション性を備えた美しい作品として、ipodを「提案」したの だ。
重要なことは、アップルは顧客の声を汲み取ってipodを開発したわけではない。トニー・ファデルという個人が起点となって、世に「提案」したのだ。そして、この「提案する」という姿勢が、ブランドにおいて最も重要なキー・ファクターなのである。
松田 真実@次世代マーケターの理論武装




第二回 コトラーを語る!
June 12, 2010
コトラーが指摘するマーケティング活動の起点は顧客にあるべきだという定義を、販売志向と比較して簡単に説明させていただいた。では、コトラーの提唱する
マーケティング志向とはどういうものかと言うと、直近の事例がある。サントリーが首都圏一都十県で売り出した5種類のビタミン入り清涼飲料水「カプセラ
<ビタミンカプセル>」(税別191円)だ。サントリーが既存の栄養ドリンクに対する消費者の不満を調べた結果、多かった回答で「効き目の実感がない」と
いうものがあった。また「ビタミン類を採りたい」という意見も反映し、5つのビタミンを水溶性、脂溶性とタイプ別に分け飲料そのものには水溶性、ツブには
脂溶性ビタミンを入れ、ツブがゆらゆらと浮かぶカプセル形状の飲料を開発した。味もビタミンCを連想させるレモン味で、パッケージやツブなどの色も黄色で
まとめられている。「効き目の実感がない」という不満は逆説的に、「効き目を実感したい」という潜在的なニーズの布石だという仮説をたてたわけだ。その
「効き目」を「ツブ」という形状によって視覚的に訴求し、また「似たような商品が多い」という意見からパッケージを含めたトータル・コーディネートを導き
出した。カプセラは発売後、堅調に推移しているという(以上、一部3月26日付け日経MJより引用)。これは、コトラー・マーケティングの見事な好例であ
る。
コトラーの説くマーケティング志向は、「外から内」であるべきだとしながらも、製品開発の段階では顧客のニーズを見極めたモノづくりをするだけでなく、顧 客の気づいていない潜在的なニーズを見つけ、そのニーズに応えて経営資源を集中するというのが基本概念で、一見すると社内の人材起点であるように解釈でき る。また潜在的なニーズは顧客自身も答えを持っていないと説明することで、「外から内」の顧客起点なのか、「内から外」の社内起点なのかを曖昧にしてし まっている。そしてコトラー自身もアイディアを生み出す源泉は企業に働く人であることを認めているのだ。この論理的矛盾ともとれる説が、顧客のニーズへ企 業の側から迎合すべきという解釈を一般化してしまった。この説を解釈するには多少なりとも読解力が必要だ。一義的にとらえると前述のような解釈になってし まう。コトラーが言いたいのは「顧客が気づいていない価値を創造する」ということ。基本的にアイディアの源泉は作り手起点となるが、あくまで軸足を顧客に 合わせ、顧客を観察することでアイディアを導き出すことが肝要だと言っているのだ。
見つけるべき「潜在的なニーズ」が「顧客の求める価値」だったとなるのは結果論。となると、本当の起点は社内の人材、つまり作り手となる。しかしながらこ の理論は、ヒト主体ということから、極めて高次な組織にしか適用できないという問題点がある。優秀な人材、活発な意見交換を良しとする組織風土、アイディ アを生み出す綿密な教育体系、研究開発に注げる豊富な資源などを基盤にした土壌での話なのである。実際に前述の「カプセラ」の事例も、開発に足かけ3年を 要している。国内随一のマーケティング・カンパニーとして、長い歴史を背景とするサントリーだからこそ成し得られる業であって、コトラー・マーケティング をスタンダードとするわが国にあっても、メーカーの新製品の成功率を定量分析すると27%の話なのだ。つまり新製品の実に3/4が失敗していることにな る。そこへいくと、潤沢なR&D(研究開発費)も捻出できない、ヒトがいない、体系化された教育体系もない中小企業では適用しにくいのだ。これは コトラー・マーケティングがメーカーの戦略主体によって構築されていることにも一因がある。
またコトラーは、新規顧客を獲得する費用は、既存顧客を維持する費用の5倍のコストがかかるとし、既存顧客を大事にして長期にわたる関係性を強化する考え 方に企業が立脚する必要性を説く「顧客の生涯価値」の観点からも、絶えず顧客をニーズの充足によってつなぎとめなければならないとしている。生涯顧客化に おいて最も有効な考え方は、「知の巨人」として名高いP・F・ドラッカーの「マーケティングの目標は販売を不要にすることである」という定義ではないだろ うか。これは、『販売=「売る」という活動全般=マーケティング』という、マーケティングの定義に慣れてしまっている方には違和感を覚えられるかもしれな い。しかしながらドラッカーの真意は「売り込もうとするのではなく、売れていくようにすることがマーケティングだ」ということなのだ。つまり顧客から「そ の商品を売ってくれ」と手を挙げてもらうことがマーケティングの究極的な姿であり、この状態を『ブランド』と呼ぶのである。ブランディングは顧客吸引力を 高めることにあるのだが、はたして、絶えず「ニーズの充足」によって顧客吸引力を維持し続けるだけの体力をもちあわせた企業が、どれだけあるかというとこ ろに、さらなる疑問が浮上するのである。
前回と今回の内容に関連して、著名なマーケティング学者T・レビットも次のように述べている。
(出典:マーケティングの革新新版)
「すべての企業はその成長、存続をはかるためには顧客を獲得し、維持していかなければならないのであるが、その顧客の獲得、維持は単に販売活動、つまりセ リングを行うことではない、それはマーケティングを行うことである。マーケティングとセリングは天文学と占星術、あるいはチェスと将棋のように似て非なる ものである」
松田 真実@次世代マーケターの理論武装
コトラーの説くマーケティング志向は、「外から内」であるべきだとしながらも、製品開発の段階では顧客のニーズを見極めたモノづくりをするだけでなく、顧 客の気づいていない潜在的なニーズを見つけ、そのニーズに応えて経営資源を集中するというのが基本概念で、一見すると社内の人材起点であるように解釈でき る。また潜在的なニーズは顧客自身も答えを持っていないと説明することで、「外から内」の顧客起点なのか、「内から外」の社内起点なのかを曖昧にしてし まっている。そしてコトラー自身もアイディアを生み出す源泉は企業に働く人であることを認めているのだ。この論理的矛盾ともとれる説が、顧客のニーズへ企 業の側から迎合すべきという解釈を一般化してしまった。この説を解釈するには多少なりとも読解力が必要だ。一義的にとらえると前述のような解釈になってし まう。コトラーが言いたいのは「顧客が気づいていない価値を創造する」ということ。基本的にアイディアの源泉は作り手起点となるが、あくまで軸足を顧客に 合わせ、顧客を観察することでアイディアを導き出すことが肝要だと言っているのだ。
見つけるべき「潜在的なニーズ」が「顧客の求める価値」だったとなるのは結果論。となると、本当の起点は社内の人材、つまり作り手となる。しかしながらこ の理論は、ヒト主体ということから、極めて高次な組織にしか適用できないという問題点がある。優秀な人材、活発な意見交換を良しとする組織風土、アイディ アを生み出す綿密な教育体系、研究開発に注げる豊富な資源などを基盤にした土壌での話なのである。実際に前述の「カプセラ」の事例も、開発に足かけ3年を 要している。国内随一のマーケティング・カンパニーとして、長い歴史を背景とするサントリーだからこそ成し得られる業であって、コトラー・マーケティング をスタンダードとするわが国にあっても、メーカーの新製品の成功率を定量分析すると27%の話なのだ。つまり新製品の実に3/4が失敗していることにな る。そこへいくと、潤沢なR&D(研究開発費)も捻出できない、ヒトがいない、体系化された教育体系もない中小企業では適用しにくいのだ。これは コトラー・マーケティングがメーカーの戦略主体によって構築されていることにも一因がある。
またコトラーは、新規顧客を獲得する費用は、既存顧客を維持する費用の5倍のコストがかかるとし、既存顧客を大事にして長期にわたる関係性を強化する考え 方に企業が立脚する必要性を説く「顧客の生涯価値」の観点からも、絶えず顧客をニーズの充足によってつなぎとめなければならないとしている。生涯顧客化に おいて最も有効な考え方は、「知の巨人」として名高いP・F・ドラッカーの「マーケティングの目標は販売を不要にすることである」という定義ではないだろ うか。これは、『販売=「売る」という活動全般=マーケティング』という、マーケティングの定義に慣れてしまっている方には違和感を覚えられるかもしれな い。しかしながらドラッカーの真意は「売り込もうとするのではなく、売れていくようにすることがマーケティングだ」ということなのだ。つまり顧客から「そ の商品を売ってくれ」と手を挙げてもらうことがマーケティングの究極的な姿であり、この状態を『ブランド』と呼ぶのである。ブランディングは顧客吸引力を 高めることにあるのだが、はたして、絶えず「ニーズの充足」によって顧客吸引力を維持し続けるだけの体力をもちあわせた企業が、どれだけあるかというとこ ろに、さらなる疑問が浮上するのである。
前回と今回の内容に関連して、著名なマーケティング学者T・レビットも次のように述べている。
(出典:マーケティングの革新新版)
「すべての企業はその成長、存続をはかるためには顧客を獲得し、維持していかなければならないのであるが、その顧客の獲得、維持は単に販売活動、つまりセ リングを行うことではない、それはマーケティングを行うことである。マーケティングとセリングは天文学と占星術、あるいはチェスと将棋のように似て非なる ものである」
松田 真実@次世代マーケターの理論武装




コトラーを語る!
June 12, 2010
通常、われわれはこういった企業責任を問う問題に対し、「供給者→需要者」という視点でとらえているので、「放送倫理」だの「企業責任」だのといった言葉
を振りかざして非難する。しかし今回の問題は本当に制作した関西テレビだけの問題だろうか。そこで思考の枠組みを逆にして考えてみる。つまり「需要者→供
給者」という流れでとらえることが重要だ。僕らは一方向的に発信されている情報を受動的に享受しているにすぎないが、むしろ能動的に情報を選別すべきでは
ないのだろうか。忘れてはならないことは、放送局にとっての消費者はあくまでスポンサー企業である。世の中に飛び交っている情報というものは、必ず「誘
導」や「願望」といったベクトル(恣意性)がかかっている。つまり、その情報の発信者の利益を図る方向性が付加されているということなのだ。生活者が能動
的に情報を取捨選別する姿勢を「メディア・リテラシー」と言う。生活者もまた、享受している便益を通して、供給者にとっての「真の顧客は誰か」を考えなく
てはならない。
この問題は少し違う視点で取り上げたが、企業不祥事といわれる一連の事件は、ほとんど例外なく「顧客」という視点を失っていることに起因している。これ は、とりもなおさず市場の変化に適応していないということであり、マーケティングの在り方が間違っているのだ。現在および未来の社会、市場の動きを自らの 立場に取り込むことがマーケティングの本質だ。過去の理論が時代に合わなければ、新しい概念を構築するか先取りしなくてはならない。マーケティングという 領域は常に研鑽を必要とされる実務なのである。
「マーケティングはコトラーに始まり、コトラーに終わる」といわれるように、現代のマーケティング論の核となっているのが、現在はノースウエスタン大学ケ ロッグ経営大学院のインターナショナル・マーケティング担当教授のフィリップ・コトラーである。今まで、ことあるごとにコトラーを否定するような論調を展 開しているが、僕がコトラーを基に仕事をしているのもまた事実だ。『コトラーのマーケティング・マネジメント』 は彼の代表的な著書であり、4Pマーケティングの最も美しい体系である。非常に網羅的で、学習から実務までがこれ一冊で完結してしまう。彼は時代の動きに きわめて敏感で、それに適応した新しい概念を提唱し、理論を構築しているという性質上、『マーケティング・マネジメント』は常に新鮮さを失うことなく版を 重ね、現在では11版まで発売されている。僕が『マーケティング・マネジメント』を学んだのが7版であり、その後ミレニアム版を原書で手に入れて読んだの を最後に、しばらくコトラーから遠ざかっていた。そんな僕も昨今の潮流の速さに戸惑いがちで、自らの仕事の整理を兼ねて知識を補完すべく、この度『マーケ ティング・マネジメント』と並び称される名著『マーケティング原理』の第9版を購入した。これは総ページ数912ページという大書で、つくづくマーケティングという学問は哲学なのだなぁと感じさせられた。

と、ここまで読めば、単にコトラーの本を売ろうとしている記事だと思われるかもしれないが、ここからが本題。競争に敗れれば、マーケティングの意義、さら には企業の存在すらも無きに等しいとする彼のマーケティング理論が、競争戦略としての性格を色濃く反映していることは僕も評価する理由の一つである。さら にはソーシャル・マーケティングや顧客ロイヤリティ、生涯顧客価値といった新しい概念を持ち込んだという点では偉大である。だが核心において、やはりアカ デミズムを象徴する指針書としての性質と経営実務の間にある乖離を僕は感じさせられる。その相違点とはマーケティングの基点である。もはやマーケティング では一般論となっているマーケティング志向。マーケティング志向は顧客ありきで、標的として設定した市場を構成する顧客のニーズや欲求へ企業の側から適合 するべきだという。自社が標的市場と定めた顧客がどのようなニーズを持っているかを明らかにし、それを充足させることを通して彼らを満足させようとする顧 客優先の姿勢のことである。コトラーはこれに対しT・レビットの持論を引用して、「まず製品ありき」の販売指向(セリング)と比較している。販売指向は既 存の製品をいかにして売るかという発想である。つまり販売指向が「内から外へ」なのに対して、マーケティング志向は「外から内へ」という性質を有してい る。
この問題は少し違う視点で取り上げたが、企業不祥事といわれる一連の事件は、ほとんど例外なく「顧客」という視点を失っていることに起因している。これ は、とりもなおさず市場の変化に適応していないということであり、マーケティングの在り方が間違っているのだ。現在および未来の社会、市場の動きを自らの 立場に取り込むことがマーケティングの本質だ。過去の理論が時代に合わなければ、新しい概念を構築するか先取りしなくてはならない。マーケティングという 領域は常に研鑽を必要とされる実務なのである。
「マーケティングはコトラーに始まり、コトラーに終わる」といわれるように、現代のマーケティング論の核となっているのが、現在はノースウエスタン大学ケ ロッグ経営大学院のインターナショナル・マーケティング担当教授のフィリップ・コトラーである。今まで、ことあるごとにコトラーを否定するような論調を展 開しているが、僕がコトラーを基に仕事をしているのもまた事実だ。『コトラーのマーケティング・マネジメント』 は彼の代表的な著書であり、4Pマーケティングの最も美しい体系である。非常に網羅的で、学習から実務までがこれ一冊で完結してしまう。彼は時代の動きに きわめて敏感で、それに適応した新しい概念を提唱し、理論を構築しているという性質上、『マーケティング・マネジメント』は常に新鮮さを失うことなく版を 重ね、現在では11版まで発売されている。僕が『マーケティング・マネジメント』を学んだのが7版であり、その後ミレニアム版を原書で手に入れて読んだの を最後に、しばらくコトラーから遠ざかっていた。そんな僕も昨今の潮流の速さに戸惑いがちで、自らの仕事の整理を兼ねて知識を補完すべく、この度『マーケ ティング・マネジメント』と並び称される名著『マーケティング原理』の第9版を購入した。これは総ページ数912ページという大書で、つくづくマーケティングという学問は哲学なのだなぁと感じさせられた。
と、ここまで読めば、単にコトラーの本を売ろうとしている記事だと思われるかもしれないが、ここからが本題。競争に敗れれば、マーケティングの意義、さら には企業の存在すらも無きに等しいとする彼のマーケティング理論が、競争戦略としての性格を色濃く反映していることは僕も評価する理由の一つである。さら にはソーシャル・マーケティングや顧客ロイヤリティ、生涯顧客価値といった新しい概念を持ち込んだという点では偉大である。だが核心において、やはりアカ デミズムを象徴する指針書としての性質と経営実務の間にある乖離を僕は感じさせられる。その相違点とはマーケティングの基点である。もはやマーケティング では一般論となっているマーケティング志向。マーケティング志向は顧客ありきで、標的として設定した市場を構成する顧客のニーズや欲求へ企業の側から適合 するべきだという。自社が標的市場と定めた顧客がどのようなニーズを持っているかを明らかにし、それを充足させることを通して彼らを満足させようとする顧 客優先の姿勢のことである。コトラーはこれに対しT・レビットの持論を引用して、「まず製品ありき」の販売指向(セリング)と比較している。販売指向は既 存の製品をいかにして売るかという発想である。つまり販売指向が「内から外へ」なのに対して、マーケティング志向は「外から内へ」という性質を有してい る。




インプルーヴ・マーケティング
June 12, 2010
最近のビジネス・トレンドとして「五感マーケティング」やら「感性マーケティング」といったものが多いことに気付く。これも以前から僕の「経営理論シリー
ズ」其の壱~其の四で一貫して訴え続けていることなのだが、結果として「現代の生活者の購買を決定付けているのは、ニーズではなくウォンツ」「人は論理に
よって購買するのではなく、直感によって購買している」という僕の主張と同様の見解を論じているものだ。確かに現代の市場はニーズに基づく必需消費からウォンツに基づく選択消費に
移行している。既存の解釈でのマーケ論ではモノが売れないことは必然とも言える。しかし一方で既存のマーケ論はまだまだ新しい学問ではあるが、一定の時間
軸の中で磨き上げられてきた人類の叡智だ。対象が保守的な性質を持った「人間」という生命体である以上、普遍的に相通ずる体系も存在する。そういった普遍
的な体系をどう環境に合わせて置き換えるかが重要なのであって、奇をてらった手法を標榜することは何の解決にもならない。
そこで、現代の生活者の購買行動から何が重要なのかを考えていく。消費行動論を前提としたマーケティングで、『ベネフィット』 という重要な概念がある。これはマーケティングを専門的に勉強したことがない人でも聞いたことはある用語だろう。非常に重要でマーケティングの核となるよ うな概念であるのに、それほど詳述した専門書等はなく、軽視していまいがちである。しかし、これほどまでに明快で理解しやすい体系は存在しない。
ベネフィットとは直訳すれば「便益」だ。つまりその商品から得られる利便性のこと。その商品を購買することにより期待される利便性は、翻って生活者にとっての価値を意味する。ベネフィットには大別して2つの要素から成り立っている(3つだという方もおられるが、それはロジックに縛られすぎている。考えすぎるよりも、明快であることが重要)。それが「機能的ベネフィット」と「情緒的ベネフィット」 だ。機能的ベネフィットとは商品の一次機能から直接的に得られる、計測しやすい効用や効能のこと。人は喉が渇けばジュースを買う。これは喉の渇きを潤すと いう効能を期待して購買しているということ。他方、「情緒的ベネフィット」とは価値や情報、意味性によって得られる心理的快楽のこと。当然これは計測しに くい。限定モデルを購入することにより得られる優越感や満足感がこれにあたる。また、ブランド品を身に付ける心理も然りだ。つまり、機能的ベネフィットは目に見える価値、情緒的ベネフィットは目に見えない価値と解釈することができる。さらにこの機能的ベネフィットと情緒的ベネフィットの最適な組み合わせが、その商品のUSP(Unique Sales Proposition)ということになる。USPとは企業や商品独自の強みや利点、長所のことだ。
1970年代くらいまでの日本は高度経済成長にあったとはいえ、戦後の混乱期を経てまだまだモノがなかった。だから製品を作ればどんどん売れ、皆が同じモ ノを欲しがった。満ち足りない生活の中で充足を求めていたわけだから、これは切実なニーズだったわけだ。そして1980年代のバブル経済を迎えることにな る。この頃になるとモノはある程度、各家庭に行き渡り「モノあまりの時代」ということが盛んに言われるようになった。いくら満ち足りていないとはいえ、限 られた絶対数の中で一方的に供給していけばモノがあまるのは至極当然のことだが、こういう状況では人間はさらに上位の欲求を模索するようになる。生理的欲 求というのは結局、衣・食・住といった「生」における渇望感から起因するのだが、それらが満たされてしまえば「生」は保証されているわけだから、今度は 「自分らしく」というように自らの価値観を志向するようになった。これがよく言われる生活者の「価値観の多様化」という現象につながったのだ。かくして 「必要だ」と言われていたものが、価値観が芽生えたことにより「欲しい」に変貌することになった。経済的には「失われた10年」と言われる頃の話だ。
これが僕の提唱している「ニーズからウォンツへ移行するマーケティング」の時代背景だ。そこでニーズに基づいて作られていた従来の商品からウォンツに引き上げないとならない。この「引き上げる(Improve)」ということから「インプルーヴ・マーケティング」 と僕が名づけたマーケティング・モデルが下のチャートだ。ニーズというのは一次機能から得られる機能的ベネフィットによって満たされる。それは製品そのも のの性能・スペックという「目に見える価値」を補完することによって実現していた。1970年代くらいまではこの発想で良かった。しかし、ウォンツに引き 上げるためには情緒的ベネフィットを誘発させなければならない。その「目に見えない価値」は一次機能に加え、ブランド価値や意味性といった付加価値、つま り「情報」を付加しなければならない。現代の市場における商品は「性能+情報」によって構成されたものであることが重要なのだ。目に見えない資産が価値を 生む。別の言い方をすれば、商品やサービスに情報が付与されて、価格優位性を発揮するということだ。
では「情報」とはどういう視点で創造すればよいかということだが、「物語性」というのが一つ重要なファクターになっている(近年評価されている、大塚英志氏が提唱した「物語消費論」 とはまた少しニュアンスが違う)。僕の提唱する「物語性」というのは、大別して2つの視点からなる。「ライフスタイルにおける物語性」と「商品自体を取り 巻く物語性」である。「ライフスタイルにおける物語性」というのは、生活者本人の人生を一つの物語と見立てて、自分らしい生活を行う上での選択を促す視 点。自己実現欲求に基づくもので、ある記念日にブランドを購入するなどの消費スタイルが代表的なもの。そして「商品自体を取り巻く物語性」というのは企業 や商品にまつわるエピソードや歴史、哲学のこと。「その商品の世界観を買う」といえる購買行動はこちら。「大きな物語あるいは秩序が商品の背後に存在する ことで、個別の商品は初めて価値を持ち消費される」という大塚英志氏の「物語消費論」はこちらに属する。「ヴィンテージ」や「クラシック」といった懐古主 義的な要素もこの後者になるのである。このような視点から、機能以外の付加価値を提供し、自らの商品市場を創造することこそが、これからのマーケティング に求められている発想なのではないだろうか。最後に少し前のものになるが、見事に「商品自体を取り巻く物語性」を演出したCM作品があるので紹介してお く。これは見られた方、多いんじゃないかな?ちなみにアメリカ版です。
コチラをクリック
松田 真実@次世代マーケターの理論武装
そこで、現代の生活者の購買行動から何が重要なのかを考えていく。消費行動論を前提としたマーケティングで、『ベネフィット』 という重要な概念がある。これはマーケティングを専門的に勉強したことがない人でも聞いたことはある用語だろう。非常に重要でマーケティングの核となるよ うな概念であるのに、それほど詳述した専門書等はなく、軽視していまいがちである。しかし、これほどまでに明快で理解しやすい体系は存在しない。
ベネフィットとは直訳すれば「便益」だ。つまりその商品から得られる利便性のこと。その商品を購買することにより期待される利便性は、翻って生活者にとっての価値を意味する。ベネフィットには大別して2つの要素から成り立っている(3つだという方もおられるが、それはロジックに縛られすぎている。考えすぎるよりも、明快であることが重要)。それが「機能的ベネフィット」と「情緒的ベネフィット」 だ。機能的ベネフィットとは商品の一次機能から直接的に得られる、計測しやすい効用や効能のこと。人は喉が渇けばジュースを買う。これは喉の渇きを潤すと いう効能を期待して購買しているということ。他方、「情緒的ベネフィット」とは価値や情報、意味性によって得られる心理的快楽のこと。当然これは計測しに くい。限定モデルを購入することにより得られる優越感や満足感がこれにあたる。また、ブランド品を身に付ける心理も然りだ。つまり、機能的ベネフィットは目に見える価値、情緒的ベネフィットは目に見えない価値と解釈することができる。さらにこの機能的ベネフィットと情緒的ベネフィットの最適な組み合わせが、その商品のUSP(Unique Sales Proposition)ということになる。USPとは企業や商品独自の強みや利点、長所のことだ。
1970年代くらいまでの日本は高度経済成長にあったとはいえ、戦後の混乱期を経てまだまだモノがなかった。だから製品を作ればどんどん売れ、皆が同じモ ノを欲しがった。満ち足りない生活の中で充足を求めていたわけだから、これは切実なニーズだったわけだ。そして1980年代のバブル経済を迎えることにな る。この頃になるとモノはある程度、各家庭に行き渡り「モノあまりの時代」ということが盛んに言われるようになった。いくら満ち足りていないとはいえ、限 られた絶対数の中で一方的に供給していけばモノがあまるのは至極当然のことだが、こういう状況では人間はさらに上位の欲求を模索するようになる。生理的欲 求というのは結局、衣・食・住といった「生」における渇望感から起因するのだが、それらが満たされてしまえば「生」は保証されているわけだから、今度は 「自分らしく」というように自らの価値観を志向するようになった。これがよく言われる生活者の「価値観の多様化」という現象につながったのだ。かくして 「必要だ」と言われていたものが、価値観が芽生えたことにより「欲しい」に変貌することになった。経済的には「失われた10年」と言われる頃の話だ。
これが僕の提唱している「ニーズからウォンツへ移行するマーケティング」の時代背景だ。そこでニーズに基づいて作られていた従来の商品からウォンツに引き上げないとならない。この「引き上げる(Improve)」ということから「インプルーヴ・マーケティング」 と僕が名づけたマーケティング・モデルが下のチャートだ。ニーズというのは一次機能から得られる機能的ベネフィットによって満たされる。それは製品そのも のの性能・スペックという「目に見える価値」を補完することによって実現していた。1970年代くらいまではこの発想で良かった。しかし、ウォンツに引き 上げるためには情緒的ベネフィットを誘発させなければならない。その「目に見えない価値」は一次機能に加え、ブランド価値や意味性といった付加価値、つま り「情報」を付加しなければならない。現代の市場における商品は「性能+情報」によって構成されたものであることが重要なのだ。目に見えない資産が価値を 生む。別の言い方をすれば、商品やサービスに情報が付与されて、価格優位性を発揮するということだ。
では「情報」とはどういう視点で創造すればよいかということだが、「物語性」というのが一つ重要なファクターになっている(近年評価されている、大塚英志氏が提唱した「物語消費論」 とはまた少しニュアンスが違う)。僕の提唱する「物語性」というのは、大別して2つの視点からなる。「ライフスタイルにおける物語性」と「商品自体を取り 巻く物語性」である。「ライフスタイルにおける物語性」というのは、生活者本人の人生を一つの物語と見立てて、自分らしい生活を行う上での選択を促す視 点。自己実現欲求に基づくもので、ある記念日にブランドを購入するなどの消費スタイルが代表的なもの。そして「商品自体を取り巻く物語性」というのは企業 や商品にまつわるエピソードや歴史、哲学のこと。「その商品の世界観を買う」といえる購買行動はこちら。「大きな物語あるいは秩序が商品の背後に存在する ことで、個別の商品は初めて価値を持ち消費される」という大塚英志氏の「物語消費論」はこちらに属する。「ヴィンテージ」や「クラシック」といった懐古主 義的な要素もこの後者になるのである。このような視点から、機能以外の付加価値を提供し、自らの商品市場を創造することこそが、これからのマーケティング に求められている発想なのではないだろうか。最後に少し前のものになるが、見事に「商品自体を取り巻く物語性」を演出したCM作品があるので紹介してお く。これは見られた方、多いんじゃないかな?ちなみにアメリカ版です。
松田 真実@次世代マーケターの理論武装




トレンドの力学
June 12, 2010
先日カメラを購入した。といっても今流行のデジタル一眼レフではなく、フィルムを入れる完全マニュアル操作カメラだ。いわゆる「クラシックカメラ」という
やつ。しかし僕は、もともとカメラ小僧というわけではない。とくに写真やカメラに興味や造詣があるわけではなかった。きっかけはプロフィールで公開してい
る僕の写真を撮影した、フリーカメラマンの白川氏に言われた一言。「松田君は感性が豊かなんだと思う。趣味でカメラでも始めれば、きっと人生もっと豊かに
なるよ」と。特に造詣が深いわけではなかったが、そう言われれば昔から気になるカメラがあった。小学生か中学生くらいの時に、雑誌か何かで見たカメラだ。
当時は「えっ!コレがカメラ?」と驚かされた。その驚きを、以来10~15年忘れられないままに僕は大人になった。そして、白川氏の一言でその記憶が鮮明
に蘇ることとなった。どうしても気になっていたあのカメラで、一体どういう写真が撮れるんだろうと、書籍を探して見つけた渡部さとる氏の「旅するカメラ」
という文庫本。目当ての機種で撮影された写真は実に美しかった。どことなく柔らかな描写ながら、時として不思議な透明感をともなってシャープに被写体を切
り取っている。これは今のデジタルなんかでは絶対に出せない描写だなぁと驚嘆した。メーカーは熾烈な開発・販売競争に明け暮れ、常に市場からは技術革新に
よる先進性が求められ、日々精度が高められる最新カメラ。そんな工業製品だからこそ、その時代にしか再現できない描写があり味がある。コレなら自分も始め
られると確信し購入したのが、「Rolleiflex(ローライフレックス) 2.8C」だ。
ドイツはフランケ・ウント・ハイデッケ社で1929年に誕生したローライフレックスの中で、この機種は二眼レフ式というものだ。ファインダーレンズと撮影 レンズを上下に分けたカメラで、至近距離ではファインダーでのぞいた範囲と、実際に写る範囲に視差が生じ、狙った構図とはちょっと違った写真が撮れてしま う。これが欠点でもあり魅力でもある。さらに、120(ブローニー)フィルムで6×6cmの正方形の写真が撮れ、長方形が当り前の僕らの世代には実に新鮮 だ。アメリカの知人にカメラ・コレクターの友人がいるというのでコンタクトを取って譲ってもらったのが2.8Cだった。1952年に発売された2.8C は、すでに高級二眼レフカメラとして全世界で称賛されていたローライフレックスシリーズの洗練されたデザインがほぼ完成したモデルで、絞りの羽根が10枚 あり、円形のボケが美しい。さすがに半世紀も前のカメラなので使いづらい点もあるが、「モノ」としてあまりに洗練されたその所作・佇まいに、僕は改めて魅 了された。手をかければきちんと調子を取り戻す精密機械としての素性の良さも、時代を越えて人々を魅了し続ける由縁なのだろう。使い古されることで出てく る「味わい」は、良い時間を経てきた逸品にだけ許される勲章でもある。この2.8C購入を機に、カメラについて基礎から勉強中の今日この頃である。
僕は音楽に関しても1960年代後半~1970年代のものが好きなのだが、格別アンティーク好き・懐古主義者というわけではない。ローライフレックスに対 するこの不思議な感覚は僕だけのものかと思っていたら、どうやらそうではないらしい。「アサヒカメラ」などで新型カメラインプレッション記事、メカニズム 記事を担当している写真家の赤城耕一氏によれば20代、30代の若い世代の間で二眼レフ、特にローライフレックスを使う人が増えてきているというのだ。
世代というと、日本で最もカメラが好きな世代は団塊の世代であるといえよう。特にライカやローライといった舶来カメラは、戦後復興まもない 1950~1960年の貧しい情勢下の日本にはほとんどリアルタイムでは入ってきていない。新品のカメラは超高級品で、舶来ものはその存在自体が非日常的 な羨望の代物だったのだ。当時、青春時代を過ごしていた団塊の世代にとって舶来カメラは渇望感の象徴の一つであり、舶来カメラを手に入れるということは自 分自身の成功の証しとして認識していたのだろう。その後、団塊の世代は渇望感を埋めるべく猛烈に働き、高度経済成長を迎える。富の平等な分配を享受し、 1955年体制における「一億総中流化・平等化モデル」が実在として目に見えてきた70年代に、ようやく舶来カメラが新品・中古ともに日本でも普及し、か つて夢にまで見た舶来カメラを手にするようになった。そんな時代を背景に団塊の世代の子供である我々、真性団塊ジュニア世代(1975~1979年生ま れ。出生数の50%以上が団塊世代の子供という。三浦展氏の定義による。詳しくは「下流社会」を参照のこと)が生まれたのである。幼き日に見た父親のカメラや大人たちの趣向が、潜在的に僕らの意識に植え付けられたとするなれば、前述した赤城耕一氏が実感していることも説明がつくし、世代としても符合する。
トレンドには世代の関わりも左右している。世代論というのは生活者を分類する一つの方法でしかないが、想定するセグメントを画一的なものと捉えるのではな く、いかに個性ある集団として認識するかというアプローチにおいては非常に有効なツールだ。少子高齢・人口減少社会という問題を抱えた現代のマーケティン グは、物質面だけでなく情緒面も含めた最適な豊かさを実現しなくてはならない。ターゲットをより深く描写することで、マーケティング・プランを膨らませて いくことが求められる。そのために当該ターゲットのプロファイルを描く必要があり、行動の背景を読み取ることが肝要なのである。以下のチャートはコトラー の定義を基にしたマーケティングの定石を示した。従来の方法論では市場を細分化し(セグメンテーション)、標的市場を定め(ターゲティング)、提供すべき 価値を明確化する(ポジショニング)ことがセオリーなのだが、ただ市場を細分化するのではなく、そのセグメントにどういう因子が影響しているのかを分析す ることにより、より効果的なマーケティング・ミックスが可能になるのだ。
ローライの例は、世代間の価値観・感性のギャップを凌駕するだけの製品自体の哲学があり、「クラシック」として普遍の評価を得ることのできる製品は非常に 稀である。また、それは生み出そうと思って生み出せるものではない。モノ作りにおける真摯な姿勢と物語性が結実した偶然の産物なのだ。著名な写真家 田中長徳氏が著書「考えるピント」の中で興味深い論考を示している。ある「時代遅れのモノ」への評価は、次のように時間経過とともに変わるという。
流行遅れ→時代遅れ→古めかしい→知らなかった→かなり奇妙な→レトロな→目新しい→新鮮な→次の流行
すべての流行モノはこの認知の循環を繰り返しているにすぎないと田中氏は説明している。トレンドを紐解いていくと、ある一定の法則が働いていることに気付 く。それはトレンドというものは対になる価値観が交互に入れ替わって起こっているということだ。それはつまり、現在「丸い」ものが主流だとしたら次の流行 は「四角い」ということだ。同様に「地味」なのであれば「派手」、「短い」ものなら「長い」だ。ちなみに僕の場合は、トレンドが「カード型(薄型)」カメ ラなのに対して、ローライは「箱型」カメラだった。そして田中氏が説く認知の循環が働く、「目新しい→新鮮な」と。この事象は心理学と社会学者エベレッ ト・ロジャースの「普及率16%の論理」である程度は説明がつく。ロジャースによるイノベーション普及プロセスだ。
ロジャースは消費者が新製品を購入するまでの時間にはばらつきがあるとし、消費者を5つに分類している。
1.イノベーター(Innovater-革新者)・・・2.5%
新製品の評価がまだ明確でないうちに購入してしまう革新派。
2.アーリー・アダプター(Early Adopter-少数初期採用者)・・・13.5%
進歩的な考えを持ち、友人や家族などに影響力のある人達。
3.アーリー・マジョリティ(Early Majority-前期多数者)・・・34%
他人が買って評価が出てきた時点で購入。
4.レイトマジョリティ(Late Majority-後期多数者)・・・34%
新製品・新サービスに懐疑的になる層で、製品・サービスがかなり普及しないと購買行動を起こさない。
5.ラガード(Laggard-遅滞者)・・・16%
伝統を重視し、新しいものには容易に飛びつかない傾向のある保守派。
さらに、商品はイノベーターとアーリー・アダプターに普及した段階で、普及は急速に拡大することから普及率16%(2.5+13.5%)の論理と定義づけた。つまり、この16%がいわゆるオピニオン・リーダーと いうことになる。イノベーターは革新派なので、すでに流行しているものには興味を示さない。次の流行の口火を切る役回りとなるのだ。だから、主流となるト レンドとは対象的な価値観に立脚したものを探し出し、大衆とは違うという優越感を得ようとするのである。そこに製品本来の価格、機能や哲学・物語などの要 因がうまく働くと、アーリー・アダプターが目を付け、口コミを誘発するオピニオン・リーダーとなるわけだ。ここで16%に達し、マジョリティ、ラガードを 巻き込んで新たなるトレンドとなる。これは必然なのである。
上で述べてきたように、プロファイルしたライフヒストリーから、トレンドとなる価値観の相関を見出し、現在の主流とは逆の価値観を商品に反映させることが できれば新たなるヒットを創出できる可能性は高い。特に機能よりもデザインを求めている時代の風潮も追い風だ。対象の価値観をデザインで表現することで成 果が得られやすいからだ。つまり生活者は分かりやすさを求めているといっていい。一方で時代が機能を求めている場合は、そう簡単にはいかない。機能という のは抽象的な概念なので、なかなか対象となる価値観を反映させにくいのだ。今のトレンドだからという常識にとらわれず、自由な発想を可能にすることが「古 くて新しい」という感覚を生み出すのではないだろうか。
松田 真実@次世代マーケターの理論武装
ドイツはフランケ・ウント・ハイデッケ社で1929年に誕生したローライフレックスの中で、この機種は二眼レフ式というものだ。ファインダーレンズと撮影 レンズを上下に分けたカメラで、至近距離ではファインダーでのぞいた範囲と、実際に写る範囲に視差が生じ、狙った構図とはちょっと違った写真が撮れてしま う。これが欠点でもあり魅力でもある。さらに、120(ブローニー)フィルムで6×6cmの正方形の写真が撮れ、長方形が当り前の僕らの世代には実に新鮮 だ。アメリカの知人にカメラ・コレクターの友人がいるというのでコンタクトを取って譲ってもらったのが2.8Cだった。1952年に発売された2.8C は、すでに高級二眼レフカメラとして全世界で称賛されていたローライフレックスシリーズの洗練されたデザインがほぼ完成したモデルで、絞りの羽根が10枚 あり、円形のボケが美しい。さすがに半世紀も前のカメラなので使いづらい点もあるが、「モノ」としてあまりに洗練されたその所作・佇まいに、僕は改めて魅 了された。手をかければきちんと調子を取り戻す精密機械としての素性の良さも、時代を越えて人々を魅了し続ける由縁なのだろう。使い古されることで出てく る「味わい」は、良い時間を経てきた逸品にだけ許される勲章でもある。この2.8C購入を機に、カメラについて基礎から勉強中の今日この頃である。
僕は音楽に関しても1960年代後半~1970年代のものが好きなのだが、格別アンティーク好き・懐古主義者というわけではない。ローライフレックスに対 するこの不思議な感覚は僕だけのものかと思っていたら、どうやらそうではないらしい。「アサヒカメラ」などで新型カメラインプレッション記事、メカニズム 記事を担当している写真家の赤城耕一氏によれば20代、30代の若い世代の間で二眼レフ、特にローライフレックスを使う人が増えてきているというのだ。
世代というと、日本で最もカメラが好きな世代は団塊の世代であるといえよう。特にライカやローライといった舶来カメラは、戦後復興まもない 1950~1960年の貧しい情勢下の日本にはほとんどリアルタイムでは入ってきていない。新品のカメラは超高級品で、舶来ものはその存在自体が非日常的 な羨望の代物だったのだ。当時、青春時代を過ごしていた団塊の世代にとって舶来カメラは渇望感の象徴の一つであり、舶来カメラを手に入れるということは自 分自身の成功の証しとして認識していたのだろう。その後、団塊の世代は渇望感を埋めるべく猛烈に働き、高度経済成長を迎える。富の平等な分配を享受し、 1955年体制における「一億総中流化・平等化モデル」が実在として目に見えてきた70年代に、ようやく舶来カメラが新品・中古ともに日本でも普及し、か つて夢にまで見た舶来カメラを手にするようになった。そんな時代を背景に団塊の世代の子供である我々、真性団塊ジュニア世代(1975~1979年生ま れ。出生数の50%以上が団塊世代の子供という。三浦展氏の定義による。詳しくは「下流社会」を参照のこと)が生まれたのである。幼き日に見た父親のカメラや大人たちの趣向が、潜在的に僕らの意識に植え付けられたとするなれば、前述した赤城耕一氏が実感していることも説明がつくし、世代としても符合する。
トレンドには世代の関わりも左右している。世代論というのは生活者を分類する一つの方法でしかないが、想定するセグメントを画一的なものと捉えるのではな く、いかに個性ある集団として認識するかというアプローチにおいては非常に有効なツールだ。少子高齢・人口減少社会という問題を抱えた現代のマーケティン グは、物質面だけでなく情緒面も含めた最適な豊かさを実現しなくてはならない。ターゲットをより深く描写することで、マーケティング・プランを膨らませて いくことが求められる。そのために当該ターゲットのプロファイルを描く必要があり、行動の背景を読み取ることが肝要なのである。以下のチャートはコトラー の定義を基にしたマーケティングの定石を示した。従来の方法論では市場を細分化し(セグメンテーション)、標的市場を定め(ターゲティング)、提供すべき 価値を明確化する(ポジショニング)ことがセオリーなのだが、ただ市場を細分化するのではなく、そのセグメントにどういう因子が影響しているのかを分析す ることにより、より効果的なマーケティング・ミックスが可能になるのだ。
ローライの例は、世代間の価値観・感性のギャップを凌駕するだけの製品自体の哲学があり、「クラシック」として普遍の評価を得ることのできる製品は非常に 稀である。また、それは生み出そうと思って生み出せるものではない。モノ作りにおける真摯な姿勢と物語性が結実した偶然の産物なのだ。著名な写真家 田中長徳氏が著書「考えるピント」の中で興味深い論考を示している。ある「時代遅れのモノ」への評価は、次のように時間経過とともに変わるという。
流行遅れ→時代遅れ→古めかしい→知らなかった→かなり奇妙な→レトロな→目新しい→新鮮な→次の流行
すべての流行モノはこの認知の循環を繰り返しているにすぎないと田中氏は説明している。トレンドを紐解いていくと、ある一定の法則が働いていることに気付 く。それはトレンドというものは対になる価値観が交互に入れ替わって起こっているということだ。それはつまり、現在「丸い」ものが主流だとしたら次の流行 は「四角い」ということだ。同様に「地味」なのであれば「派手」、「短い」ものなら「長い」だ。ちなみに僕の場合は、トレンドが「カード型(薄型)」カメ ラなのに対して、ローライは「箱型」カメラだった。そして田中氏が説く認知の循環が働く、「目新しい→新鮮な」と。この事象は心理学と社会学者エベレッ ト・ロジャースの「普及率16%の論理」である程度は説明がつく。ロジャースによるイノベーション普及プロセスだ。
ロジャースは消費者が新製品を購入するまでの時間にはばらつきがあるとし、消費者を5つに分類している。
1.イノベーター(Innovater-革新者)・・・2.5%
新製品の評価がまだ明確でないうちに購入してしまう革新派。
2.アーリー・アダプター(Early Adopter-少数初期採用者)・・・13.5%
進歩的な考えを持ち、友人や家族などに影響力のある人達。
3.アーリー・マジョリティ(Early Majority-前期多数者)・・・34%
他人が買って評価が出てきた時点で購入。
4.レイトマジョリティ(Late Majority-後期多数者)・・・34%
新製品・新サービスに懐疑的になる層で、製品・サービスがかなり普及しないと購買行動を起こさない。
5.ラガード(Laggard-遅滞者)・・・16%
伝統を重視し、新しいものには容易に飛びつかない傾向のある保守派。
さらに、商品はイノベーターとアーリー・アダプターに普及した段階で、普及は急速に拡大することから普及率16%(2.5+13.5%)の論理と定義づけた。つまり、この16%がいわゆるオピニオン・リーダーと いうことになる。イノベーターは革新派なので、すでに流行しているものには興味を示さない。次の流行の口火を切る役回りとなるのだ。だから、主流となるト レンドとは対象的な価値観に立脚したものを探し出し、大衆とは違うという優越感を得ようとするのである。そこに製品本来の価格、機能や哲学・物語などの要 因がうまく働くと、アーリー・アダプターが目を付け、口コミを誘発するオピニオン・リーダーとなるわけだ。ここで16%に達し、マジョリティ、ラガードを 巻き込んで新たなるトレンドとなる。これは必然なのである。
上で述べてきたように、プロファイルしたライフヒストリーから、トレンドとなる価値観の相関を見出し、現在の主流とは逆の価値観を商品に反映させることが できれば新たなるヒットを創出できる可能性は高い。特に機能よりもデザインを求めている時代の風潮も追い風だ。対象の価値観をデザインで表現することで成 果が得られやすいからだ。つまり生活者は分かりやすさを求めているといっていい。一方で時代が機能を求めている場合は、そう簡単にはいかない。機能という のは抽象的な概念なので、なかなか対象となる価値観を反映させにくいのだ。今のトレンドだからという常識にとらわれず、自由な発想を可能にすることが「古 くて新しい」という感覚を生み出すのではないだろうか。
松田 真実@次世代マーケターの理論武装




言葉のチカラ
June 12, 2010
今回の主題。きっかけとなったのは懇意にしている美容室で先月のこと。もうすでに10年来の付き合いで利用しているこのお店に、僕と同い年で入店当初から
よく知るスタッフ
T君と、経歴について話をしていた。彼はなかなか面白い人物で、当初はクリエイターを志し、一度はコンピューター関係の専門学校に入るのだが、心変わりに
よって突如退学、目標を美容師に転換し現在に至るのである。そんな彼も今はお店の宣伝広報という顔を持ちつつ、「スタイリスト」としてカットを任される立
場になっている。そのT君がもともと入学した専門学校、関西ではおなじみの「コンピューター総合学園HAL(ハル)」についての話題だった。関西を基盤にモード学園、コンピューター総合学園HAL、大阪医専などの学校法人を展開する起業家であり学長である谷勝氏がその名前に込めた意味。それは「IBMの
一歩先を行く」ということだというのだ。アルファベット順でIの一つ前は「H」、同じくBの一つ前は「A」、同様にMの一つ前は「L」。なるほどなぁと
唸ってしまう。いち早くコンピュータの開発に乗り出し、1964年に最初の汎用メインフレームシステムの開発に成功、1960年代にはコンピュータ主要8
社の中でも最も大きなシェアを有し、コンピュータ市場の草創期に最も貢献した企業IBM。そのIBMの一歩先を行くという意味が込められたネーミングに、
「企業」としての強さの源泉があることに納得してしまった。
同様に企業名で自社の事業を表現している事例としていくつか挙げると、文房具等の宅配事業を展開するアスクルは「明日来る」、モップをはじめとするお掃除 用品、浄水器・空気清浄機などの生活用品のレンタル・販売やミスタードーナツを展開するダスキンは「ダスト(汚れ)」+「ふきん」などがある。これらの企 業に共通しているのは飛躍を続け活気に溢れる企業であるということ。これらの企業名は、企業の中で意思決定や選択の拠り所となり、社員に共有されている証 拠なのだろう。このように語れる資源、つまり情報を持っている企業は強い。情報が価値を生むのである。
「企業の中で意思決定や選択の拠り所となり、社員に共有されている」というと、特にマーケターなら思い当たる節があるのではないか。ひところビジネス・ト レンドとなった「コーポレート・アイデンティティ(CI)」や「ブランド・アイデンティティ(BI)」、「コーポレート・メッセージ」、「ブランド・イ メージ」といった類のもの。企業がブランド戦略の一環として、大事にする自らのあるべき姿、企業・ブランドの持つ世界観を説明し、簡潔な言葉にまとめたも のだ。これらは企業・ブランドが持つ理念・哲学から派生するもので、企業として顧客に約束することや顧客に提供する独自の価値など、アメリカの企業では 「ゴールデンルール」と呼ぶところもある。これらを実際の行動規範として実務面でブレイク・ダウンしたものが、ザ・リッツ・カールトン(同社では顧客を 「紳士と淑女」と表現している)で有名なクレドなのだ。別の形態として有名なものに、東京通信工業株式会社(現在のソニー)の創業者 井深大氏が書いた設立趣意書が ある。企業が社員に約束すること、社員が企業に約束すること、社員が顧客に約束すること、社員の行動基準や判断基準などを企業名にまで落とし込むという発 想は実にクリエイティブだと思う。結果としてブランドという概念は言葉に凝縮されるものなのだ。これらがブランディングのプロセスにおいて核となることは 言うまでもない。
日経BPコンサルティングが実施している調査に「コーポレート・メッセージ調査」というものがある。直近のもので2006年10月に発表されたもので最近 のトレンドを押さえておくと、メッセージを提示し、その発信元の企業名を正しく思い起こせたかを調べた「企業名想起率」は、ロッテの「お口の恋人」が 91.8%で1位、コスモ石油の「ココロも満タンに」が66.3%で2位、味の素の「あしたのもと」が63.7%で3位と続いている。ちなみに「お口の恋 人」は5年連続で首位となっている。同様にメッセージの好感度を5段階評価してもらい、指数化した「高感度ランキング」でも1位はロッテの「お口の恋人」 で50.6%、コスモ石油の「ココロも満タンに」が44.5%で2位、「味ひとすじ」で3位に入った永谷園は43.3%、ローソンの「マチのほっとステー ション」が43.1%で4位、「おはようからおやすみまでくらしに夢をひろげるLION」で39.5%でライオンが5位に入る結果となっている。こうして 見ると英語を使ったメッセージはどちらのランキングでもあまり見られない。どうやら日本語には「シズル効果(五感を刺激するような擬音語)」と呼ばれる現 象に代表される、背後にある意味や広がりが伝わりやすいという効用があるようだ。
簡潔でわかりやすいメッセージで生活者に伝えることが一つのトレンドとなっているが、自社を表現する手段としてはそれが全てではない。少し前になるが、ルイ・ヴィトンがこんな広告を出したことがある。
「ルイ・ヴィトンはネクタイをつくっておりません。ルイ・ヴィトン社は1854年にパリで創設され、以来一貫して旅行用鞄、バッグおよびその関連商品を製 造、販売しております。しかし、ルイ・ヴィトン社ではネクタイは製造しておりません。最近ルイ・ヴィトン社がイタリアで製造しているというネクタイを有名 百貨店に売り込もうとしている業者がおり、事実、一部の小売店では既に販売されておりますが、これらはルイ・ヴィトン社とは全く関係のない商品です。な お、ネクタイの他にルイ・ヴィトン社では製造していない時計、セーター等の製品があたかもルイ・ヴィトン社製の製品の如く販売されております。その他にも ルイ・ヴィトン社本来の模造品も一部で販売されております。ルイ・ヴィトン・パリならびにルイ・ヴィトン日本支店では、今春3月より右記の専門ブティック を正規の販売ルートとして設立すると同時に、このような状態を正常化するため、最善の努力を続けております。消費者の皆様におかれましても、ルイ・ヴィト ンの類似品およびブランド詐欺には、くれぐれもご注意くださいますようお願い申し上げます。」
通常の広告表現の趣旨である「お買い求めください」ではなく、「注意して購入してください」ということを訴求することによって、生活者に強烈なインパクトを植え付ける。「他とは違う」という差別化を図ることに成功している、まさに逆転の発想の好例といえる。
またもう一つ挙げよう。「世界共通語」を通して、最小限のメッセージで世界に強烈なインパクトを与えた日清食品の「カップヌードル」のCMがある。この CMは1992年の作品で、カンヌ国際広告祭CM部門のグランプリなどで高い評価を得たものだ。たった一言のコピーで言いたいことが伝わってしまった好例 である。
コチラをクリック
昨今のビジネス・トレンドとして、「必ず買ってしまうセールス・レター」や「●倍売る文章術」、「売れるセールス・ライティング」といった書籍が氾濫して いる。プランナーである僕のもとにもコピーの添削やライティングの仕事が多く寄せられるのだが、優れた広告表現とは結局のところ以下の3点に集約される。
1.いかに逆転の発想によって生活者の関心を惹くことができるか。
2.その広告表現によってコミュニケーションがなされているか。
3.伝えるべきものの焦点は合っているか。
もちろん、心理学的なアプローチというのも必要性がないわけではないのだが、上記の原理原則を踏襲していない限り、見るだけで悪寒の走るような安っぽいチ ラシや、結局何が言いたいのか分からないイメージ広告が量産されてしまう。小手先の技術よりも原点回帰の重要性がここにある。
松田 真実@次世代マーケターの理論武装
同様に企業名で自社の事業を表現している事例としていくつか挙げると、文房具等の宅配事業を展開するアスクルは「明日来る」、モップをはじめとするお掃除 用品、浄水器・空気清浄機などの生活用品のレンタル・販売やミスタードーナツを展開するダスキンは「ダスト(汚れ)」+「ふきん」などがある。これらの企 業に共通しているのは飛躍を続け活気に溢れる企業であるということ。これらの企業名は、企業の中で意思決定や選択の拠り所となり、社員に共有されている証 拠なのだろう。このように語れる資源、つまり情報を持っている企業は強い。情報が価値を生むのである。
「企業の中で意思決定や選択の拠り所となり、社員に共有されている」というと、特にマーケターなら思い当たる節があるのではないか。ひところビジネス・ト レンドとなった「コーポレート・アイデンティティ(CI)」や「ブランド・アイデンティティ(BI)」、「コーポレート・メッセージ」、「ブランド・イ メージ」といった類のもの。企業がブランド戦略の一環として、大事にする自らのあるべき姿、企業・ブランドの持つ世界観を説明し、簡潔な言葉にまとめたも のだ。これらは企業・ブランドが持つ理念・哲学から派生するもので、企業として顧客に約束することや顧客に提供する独自の価値など、アメリカの企業では 「ゴールデンルール」と呼ぶところもある。これらを実際の行動規範として実務面でブレイク・ダウンしたものが、ザ・リッツ・カールトン(同社では顧客を 「紳士と淑女」と表現している)で有名なクレドなのだ。別の形態として有名なものに、東京通信工業株式会社(現在のソニー)の創業者 井深大氏が書いた設立趣意書が ある。企業が社員に約束すること、社員が企業に約束すること、社員が顧客に約束すること、社員の行動基準や判断基準などを企業名にまで落とし込むという発 想は実にクリエイティブだと思う。結果としてブランドという概念は言葉に凝縮されるものなのだ。これらがブランディングのプロセスにおいて核となることは 言うまでもない。
日経BPコンサルティングが実施している調査に「コーポレート・メッセージ調査」というものがある。直近のもので2006年10月に発表されたもので最近 のトレンドを押さえておくと、メッセージを提示し、その発信元の企業名を正しく思い起こせたかを調べた「企業名想起率」は、ロッテの「お口の恋人」が 91.8%で1位、コスモ石油の「ココロも満タンに」が66.3%で2位、味の素の「あしたのもと」が63.7%で3位と続いている。ちなみに「お口の恋 人」は5年連続で首位となっている。同様にメッセージの好感度を5段階評価してもらい、指数化した「高感度ランキング」でも1位はロッテの「お口の恋人」 で50.6%、コスモ石油の「ココロも満タンに」が44.5%で2位、「味ひとすじ」で3位に入った永谷園は43.3%、ローソンの「マチのほっとステー ション」が43.1%で4位、「おはようからおやすみまでくらしに夢をひろげるLION」で39.5%でライオンが5位に入る結果となっている。こうして 見ると英語を使ったメッセージはどちらのランキングでもあまり見られない。どうやら日本語には「シズル効果(五感を刺激するような擬音語)」と呼ばれる現 象に代表される、背後にある意味や広がりが伝わりやすいという効用があるようだ。
簡潔でわかりやすいメッセージで生活者に伝えることが一つのトレンドとなっているが、自社を表現する手段としてはそれが全てではない。少し前になるが、ルイ・ヴィトンがこんな広告を出したことがある。
「ルイ・ヴィトンはネクタイをつくっておりません。ルイ・ヴィトン社は1854年にパリで創設され、以来一貫して旅行用鞄、バッグおよびその関連商品を製 造、販売しております。しかし、ルイ・ヴィトン社ではネクタイは製造しておりません。最近ルイ・ヴィトン社がイタリアで製造しているというネクタイを有名 百貨店に売り込もうとしている業者がおり、事実、一部の小売店では既に販売されておりますが、これらはルイ・ヴィトン社とは全く関係のない商品です。な お、ネクタイの他にルイ・ヴィトン社では製造していない時計、セーター等の製品があたかもルイ・ヴィトン社製の製品の如く販売されております。その他にも ルイ・ヴィトン社本来の模造品も一部で販売されております。ルイ・ヴィトン・パリならびにルイ・ヴィトン日本支店では、今春3月より右記の専門ブティック を正規の販売ルートとして設立すると同時に、このような状態を正常化するため、最善の努力を続けております。消費者の皆様におかれましても、ルイ・ヴィト ンの類似品およびブランド詐欺には、くれぐれもご注意くださいますようお願い申し上げます。」
通常の広告表現の趣旨である「お買い求めください」ではなく、「注意して購入してください」ということを訴求することによって、生活者に強烈なインパクトを植え付ける。「他とは違う」という差別化を図ることに成功している、まさに逆転の発想の好例といえる。
またもう一つ挙げよう。「世界共通語」を通して、最小限のメッセージで世界に強烈なインパクトを与えた日清食品の「カップヌードル」のCMがある。この CMは1992年の作品で、カンヌ国際広告祭CM部門のグランプリなどで高い評価を得たものだ。たった一言のコピーで言いたいことが伝わってしまった好例 である。
昨今のビジネス・トレンドとして、「必ず買ってしまうセールス・レター」や「●倍売る文章術」、「売れるセールス・ライティング」といった書籍が氾濫して いる。プランナーである僕のもとにもコピーの添削やライティングの仕事が多く寄せられるのだが、優れた広告表現とは結局のところ以下の3点に集約される。
1.いかに逆転の発想によって生活者の関心を惹くことができるか。
2.その広告表現によってコミュニケーションがなされているか。
3.伝えるべきものの焦点は合っているか。
もちろん、心理学的なアプローチというのも必要性がないわけではないのだが、上記の原理原則を踏襲していない限り、見るだけで悪寒の走るような安っぽいチ ラシや、結局何が言いたいのか分からないイメージ広告が量産されてしまう。小手先の技術よりも原点回帰の重要性がここにある。
松田 真実@次世代マーケターの理論武装




日本サッカーに苦言を呈す
June 12, 2010
日本のサッカーを考えた場合、Jリーグより高校サッカーの方が圧倒的に面白い。その理由を探求すると、高校サッカーというのは監督を中心とする一定のサッ
カー思想を軸に、否が応にも選手が流動的である。毎年違ったポテンシャルの選手が入れ替わり、一定の思想に基づいてどういうチームを作ってくるかに面白さ
がある。それが戦略である。ところがJリーグの場合だと、当然プロであるがゆえに選手は固定的である。さらに追い討ちをかけるように日本の各チームはほぼ
例外なく財政難という状況を考えると、思ったように補強ができず、欧州と比べても格段に高い固定率である。つまり人的資源に戦略を合わさざるをえない、高
校サッカーとは逆の発想であるのだ。サッカーとは戦略に基づく戦術がまた魅力的な、知的ゲームである。例外なく「戦略は組織に従う」のではなしに、A・
チャンドラーの言う「組織は戦略に従う」ことが原則だ。そう考えると今のJリーグにはサッカーというスポーツの魅力が乏しいのが現状である。そこで僕が日
本サッカー界に提言するおおまかな提案が以下のものだ。
提言1.Jリーグにおける外国人枠(3人だったと思う)の撤廃・・・現在のJリーグの制度上、日本人選手の育成を名目に、一試合に出場できる外国人の数は 3人までと制約されている。確かに、日本人選手の出場機会を増やすことが育成に繋がると考えることもできるが、いっそのことこの外国人枠を撤廃してしまっ た方が日本人選手の育成には効果的なのではないだろうか。出場機会をある程度固定化され、そこに安心感が生まれ向上心を抑制してしまっているのではない か。また海外から選手が流入してくることによって、海外プレーヤーは貧困から脱するための手段としてサッカーにうちこんできた選手がほとんどなので、チー ム内に緊張感が生まれる。そんな環境の中でプレイした方が日本人選手の闘争心・向上心にも火が付くというものだ。また、各チームが次々と海外選手を補強す ると、そこに競争原理が働き、よりビッグ・ネームである外国人選手を獲得しようとするチームも出てくるだろう。実際Jリーグが盛り上がっていた発足当初 は、ピークを過ぎたとはいえ、ジーコやディアス、リトバルスキーといったビッグネームが在籍していた。旬を過ぎても世界的な百戦錬磨の名選手から学ぶべき ことは多々あるはずだ。集客効果もある。このJリーグ発足当初の獲得戦略は今、サウジアラビアで同様に起こっている。
提言2.ユース世代の選手育成は、Jリーグチームの下部組織であるユースに一元化するべきだ・・・日本の教育思想上、高校の部活という範疇では指導を全選 手平等にしなくてはならない。いくら才能のある有望な選手といえども、専属のコーチさえもつかない。また文武両道というのが高等教育における一般的な教育 思想なのでサッカーのみに専念することはできない。他方、営利目的のプロチームの下部組織であるユースであれば、才能のない選手は切り捨てられ、将来有望 な選手に対してのみ、育成は注力される。「アップ・オア・アウト」の世界なのだ。高校サッカーが見られなくなるのは名残惜しいが、真の日本サッカーの発展 を見据えるなら鬼門となる問題である。
以上、2点であるがこの他にもプロリーグチーム運営上、ビジネスモデルとしての課題は資金調達・マーケティングなど多々ある。しかし、上記の提言は、サッ カー協会や各球団が早急に取り組まなくてはならない問題だと僕は考えている。発展させれば、これと同じことが日本の企業にも言えることではないだろうか。
提言1.Jリーグにおける外国人枠(3人だったと思う)の撤廃・・・現在のJリーグの制度上、日本人選手の育成を名目に、一試合に出場できる外国人の数は 3人までと制約されている。確かに、日本人選手の出場機会を増やすことが育成に繋がると考えることもできるが、いっそのことこの外国人枠を撤廃してしまっ た方が日本人選手の育成には効果的なのではないだろうか。出場機会をある程度固定化され、そこに安心感が生まれ向上心を抑制してしまっているのではない か。また海外から選手が流入してくることによって、海外プレーヤーは貧困から脱するための手段としてサッカーにうちこんできた選手がほとんどなので、チー ム内に緊張感が生まれる。そんな環境の中でプレイした方が日本人選手の闘争心・向上心にも火が付くというものだ。また、各チームが次々と海外選手を補強す ると、そこに競争原理が働き、よりビッグ・ネームである外国人選手を獲得しようとするチームも出てくるだろう。実際Jリーグが盛り上がっていた発足当初 は、ピークを過ぎたとはいえ、ジーコやディアス、リトバルスキーといったビッグネームが在籍していた。旬を過ぎても世界的な百戦錬磨の名選手から学ぶべき ことは多々あるはずだ。集客効果もある。このJリーグ発足当初の獲得戦略は今、サウジアラビアで同様に起こっている。
提言2.ユース世代の選手育成は、Jリーグチームの下部組織であるユースに一元化するべきだ・・・日本の教育思想上、高校の部活という範疇では指導を全選 手平等にしなくてはならない。いくら才能のある有望な選手といえども、専属のコーチさえもつかない。また文武両道というのが高等教育における一般的な教育 思想なのでサッカーのみに専念することはできない。他方、営利目的のプロチームの下部組織であるユースであれば、才能のない選手は切り捨てられ、将来有望 な選手に対してのみ、育成は注力される。「アップ・オア・アウト」の世界なのだ。高校サッカーが見られなくなるのは名残惜しいが、真の日本サッカーの発展 を見据えるなら鬼門となる問題である。
以上、2点であるがこの他にもプロリーグチーム運営上、ビジネスモデルとしての課題は資金調達・マーケティングなど多々ある。しかし、上記の提言は、サッ カー協会や各球団が早急に取り組まなくてはならない問題だと僕は考えている。発展させれば、これと同じことが日本の企業にも言えることではないだろうか。




ベネフィット・マーケティング回帰
June 12, 2010
もはや既存のマーケティング理論では、立ち行かない時代になってきた。企業間競争が寡占競争化の末に、物質的な豊かさを手に入れた経済大国ニッポンには、
すでに顕在需要と呼べる市場はなく、いかに潜在的な需要を喚起あるいは創造することができるかというのがマーケティングの本質になりつつあると言えるだろ
う。
この懸念は高度経済成長が終焉を迎えるころから密かに囁かれていた。ロナルド・E・フランクが象徴的な報告を残している。
「消費者特性と購入行動との相関係数は、平均で0.2以下である。17個の人口統計的変数、社会経済的変数、パーソナリティ変数を用いたが、これで購入行 動における分散のほぼ4%しか説明できなかった。収入だとか、信仰といったような客観的な要因によって購入行動が説明できるような場合もある。しかし、他 の大部分の消費財マーケットは、そう単純ではない。」
このような状況の中で、一握りの先進的なマーケティング学者や研究者は、「消費者志向」という新たなコンセプトを打ち立て、消費者の生活と心の研究に立脚した新たな視点を提示し、今日までの『リレーションシップ・マーケティング』という潮流を生み出している。
ながらく高度経済成長における成功体験を払拭することができず、マス・マーケティングを展開してきた実業界においても、この潮流を受容せざるをえない状況となってきており、ようやく消費者個人に焦点を当てはじめている。
そこで本稿では、この消費者志向をさらに一歩推し進めた、『価値にもとづくマーケティング』のあり方を提示しようと思う。なぜ、今『価値』なのか。それを説明するためにも、まずは『価値』、つまり『ベネフィット』について理解しておく必要がある。
過去の記事でも幾度か触れているが、ベネフィットを直訳すると便益、利便性ということになる。一般にわれわれが商品に価値を認めたとき、欲求は発生する。 欲求は人間の行動をひきおこす原動力であり、人間の行動はその欲求を満たす方向に向かって進む。そして欲求を満たしてくれるものが価値であり、価値は行動 を誘発する。
つまり、顧客は商品・サービスを買っているのだが、それを通じて得られる価値を求めている。この『ベネフィット』こそが、本来的にはマーケティングの基本となるべきものなのだ。

この基本ともいえることがなぜ、今重要といえるのだろうか。そのヒントは消費者動向にある。1970年代における消費者動向は「大衆」という言葉に言い表 せられた。同様に80年代は「少衆」、90年代は「個衆」と呼ばれているが、このほど電通が発表した概念として「鏡衆」と言える新しい「うねり」が起きて いるという。
その理由は、共有できる目標や価値観がなくなってきたなかで、インターネットの登場によって社会や不特定多数の人々ともつながりながら情動を分かち合っていく「共振型」ともいえる動きが波及し始めていることにある。
当初、自分だけのこだわりと思っていたのが、実は同様の趣味・嗜好からその商品を支持する仲間がいることに気づく。そのコミュニティにおいては、商品自体が持つ価値を、より自分たちの感覚にフィットするように意味変換することで結びつきを強めているのだ。
つまりは商品の価値を媒介にして、社会的トレンドとしての消費を形づくっているのである。ここに『価値』、つまり『ベネフィット』の重要性を如実に示す兆候が見え隠れしている。
だからこそ今、『顧客にとっての価値』を中核とした事業戦略、商品、マーケティングに企業は取り組むべきである。自社だけが提供できる価値を「強み」とし、その「強み」を重要視する顧客を「ターゲット」としていくのだ。
市場とは顧客の『価値』を巡る競合の集合であり、競合は顧客の求める『価値』によって決まる。それは顧客自身の中における相対的なものであり、競争とはマーケットシェアを競うものではなく、顧客のマインドシェアを巡る戦いなのである。
実際に最新のマーケティングでは、顧客にとっての価値によってセグメンテーションを行い、最終的に「人」という要素を紐づけて性別・年齢層を特定していく 『ベネフィット・セグメンテーション』という技法が台頭してきている(この技法についての論考は、また別の機会に譲る)。
価値によって特定した顧客に対し、価値にもとづいたマーケティング戦略によって顧客とのコミュニケートを設計し、メッセージによってリーチする。そのリー チするべきメッセージが、『Selling Message』である。このSelling Messageは戦略にもとづき、感性に訴える「顧客にとっての価値」が明確に示されたものだ。それは企業としてのスタンスを表した、企業の価値提案やア イデンティティを表す意思表明のことで、一時期流行った「CI(Corporate Identity)」のようなものと考えていただければ良いだろう。
もちろん資本主義社会における経営の本質は競争にあるので、企業における戦略は競争戦略としての色合いが濃くなる。いかに他社が真似ることのできない、独 自の強みへと昇華することができるかが肝要になるわけだが、必ずしも独自性を訴求する必要はない。例えばロッテの『お口の恋人』などは、企業のスタンスを 明確に示したSelling Messageといえる。
優れたSelling Messageの好例として挙げられるのが『液晶のシャープ』。「テレビの性能を決めるのは工場の性能です。美しい日本の液晶アクオス」というおなじみの テレビCMにより、液晶を自社生産できる設備を持つ数少ないメーカーであることを端的に表現している。その他の代表的な例ではBMWの『駆け抜ける歓び』 というのもある。
Selling Messageは、いわゆるUSP(Unique Selling Proposition)とは若干異なる。『USP』は相対的な競合他社との差別化ポイント・独自性のことであり、当然Selling Messageに立脚したもので、商品ごとに存在する。ここでいう競合他社も、価値によって規定される顧客の頭の中の選択肢の集合であり、決して自社にお いて規定するものではないことにご留意いただきたい。
ちなみにUSPの例ではドミノ・ピザが有名である。「30分で熱々のピザをお届けします。1分でも遅れたらお代はいりません」というもの。今では一般的に なった宅配ピザの定番メッセージではあるが、コレを初めて打ち出したのがドミノ・ピザだった。商品クオリティのみならず、デリバリーという自社の資源に自 ら価値を見出し、独自性を打ち出した効果的なUSPであったわけだ。
商品に関しても、やはり戦略にもとづいて開発されたものが前提になってくるが、ときとして優れた商品はそれ自体が戦略となりえることもあり、一概にその良 否を述べることはできない。ただし、ここでも中心となる概念として価値にもとづいたものであるかどうかというのが1つの判断基準となることは確かだ。
と、ここまで『価値にもとづくマーケティング』のあり方を見てきたわけだが、さほど目新しいという概念はないように思える。むしろ、マーケティングの本来 的な機能というべきものであるが、基本を忠実に行なうことほど難しいことはないのが現実だ。今こそ商売の原点に立ち返るべき時と、時代が要請しているよう に思えてならない。
この懸念は高度経済成長が終焉を迎えるころから密かに囁かれていた。ロナルド・E・フランクが象徴的な報告を残している。
「消費者特性と購入行動との相関係数は、平均で0.2以下である。17個の人口統計的変数、社会経済的変数、パーソナリティ変数を用いたが、これで購入行 動における分散のほぼ4%しか説明できなかった。収入だとか、信仰といったような客観的な要因によって購入行動が説明できるような場合もある。しかし、他 の大部分の消費財マーケットは、そう単純ではない。」
このような状況の中で、一握りの先進的なマーケティング学者や研究者は、「消費者志向」という新たなコンセプトを打ち立て、消費者の生活と心の研究に立脚した新たな視点を提示し、今日までの『リレーションシップ・マーケティング』という潮流を生み出している。
ながらく高度経済成長における成功体験を払拭することができず、マス・マーケティングを展開してきた実業界においても、この潮流を受容せざるをえない状況となってきており、ようやく消費者個人に焦点を当てはじめている。
そこで本稿では、この消費者志向をさらに一歩推し進めた、『価値にもとづくマーケティング』のあり方を提示しようと思う。なぜ、今『価値』なのか。それを説明するためにも、まずは『価値』、つまり『ベネフィット』について理解しておく必要がある。
過去の記事でも幾度か触れているが、ベネフィットを直訳すると便益、利便性ということになる。一般にわれわれが商品に価値を認めたとき、欲求は発生する。 欲求は人間の行動をひきおこす原動力であり、人間の行動はその欲求を満たす方向に向かって進む。そして欲求を満たしてくれるものが価値であり、価値は行動 を誘発する。
つまり、顧客は商品・サービスを買っているのだが、それを通じて得られる価値を求めている。この『ベネフィット』こそが、本来的にはマーケティングの基本となるべきものなのだ。

この基本ともいえることがなぜ、今重要といえるのだろうか。そのヒントは消費者動向にある。1970年代における消費者動向は「大衆」という言葉に言い表 せられた。同様に80年代は「少衆」、90年代は「個衆」と呼ばれているが、このほど電通が発表した概念として「鏡衆」と言える新しい「うねり」が起きて いるという。
その理由は、共有できる目標や価値観がなくなってきたなかで、インターネットの登場によって社会や不特定多数の人々ともつながりながら情動を分かち合っていく「共振型」ともいえる動きが波及し始めていることにある。
当初、自分だけのこだわりと思っていたのが、実は同様の趣味・嗜好からその商品を支持する仲間がいることに気づく。そのコミュニティにおいては、商品自体が持つ価値を、より自分たちの感覚にフィットするように意味変換することで結びつきを強めているのだ。
つまりは商品の価値を媒介にして、社会的トレンドとしての消費を形づくっているのである。ここに『価値』、つまり『ベネフィット』の重要性を如実に示す兆候が見え隠れしている。
だからこそ今、『顧客にとっての価値』を中核とした事業戦略、商品、マーケティングに企業は取り組むべきである。自社だけが提供できる価値を「強み」とし、その「強み」を重要視する顧客を「ターゲット」としていくのだ。
市場とは顧客の『価値』を巡る競合の集合であり、競合は顧客の求める『価値』によって決まる。それは顧客自身の中における相対的なものであり、競争とはマーケットシェアを競うものではなく、顧客のマインドシェアを巡る戦いなのである。
実際に最新のマーケティングでは、顧客にとっての価値によってセグメンテーションを行い、最終的に「人」という要素を紐づけて性別・年齢層を特定していく 『ベネフィット・セグメンテーション』という技法が台頭してきている(この技法についての論考は、また別の機会に譲る)。
価値によって特定した顧客に対し、価値にもとづいたマーケティング戦略によって顧客とのコミュニケートを設計し、メッセージによってリーチする。そのリー チするべきメッセージが、『Selling Message』である。このSelling Messageは戦略にもとづき、感性に訴える「顧客にとっての価値」が明確に示されたものだ。それは企業としてのスタンスを表した、企業の価値提案やア イデンティティを表す意思表明のことで、一時期流行った「CI(Corporate Identity)」のようなものと考えていただければ良いだろう。
もちろん資本主義社会における経営の本質は競争にあるので、企業における戦略は競争戦略としての色合いが濃くなる。いかに他社が真似ることのできない、独 自の強みへと昇華することができるかが肝要になるわけだが、必ずしも独自性を訴求する必要はない。例えばロッテの『お口の恋人』などは、企業のスタンスを 明確に示したSelling Messageといえる。
優れたSelling Messageの好例として挙げられるのが『液晶のシャープ』。「テレビの性能を決めるのは工場の性能です。美しい日本の液晶アクオス」というおなじみの テレビCMにより、液晶を自社生産できる設備を持つ数少ないメーカーであることを端的に表現している。その他の代表的な例ではBMWの『駆け抜ける歓び』 というのもある。
Selling Messageは、いわゆるUSP(Unique Selling Proposition)とは若干異なる。『USP』は相対的な競合他社との差別化ポイント・独自性のことであり、当然Selling Messageに立脚したもので、商品ごとに存在する。ここでいう競合他社も、価値によって規定される顧客の頭の中の選択肢の集合であり、決して自社にお いて規定するものではないことにご留意いただきたい。
ちなみにUSPの例ではドミノ・ピザが有名である。「30分で熱々のピザをお届けします。1分でも遅れたらお代はいりません」というもの。今では一般的に なった宅配ピザの定番メッセージではあるが、コレを初めて打ち出したのがドミノ・ピザだった。商品クオリティのみならず、デリバリーという自社の資源に自 ら価値を見出し、独自性を打ち出した効果的なUSPであったわけだ。
商品に関しても、やはり戦略にもとづいて開発されたものが前提になってくるが、ときとして優れた商品はそれ自体が戦略となりえることもあり、一概にその良 否を述べることはできない。ただし、ここでも中心となる概念として価値にもとづいたものであるかどうかというのが1つの判断基準となることは確かだ。
と、ここまで『価値にもとづくマーケティング』のあり方を見てきたわけだが、さほど目新しいという概念はないように思える。むしろ、マーケティングの本来 的な機能というべきものであるが、基本を忠実に行なうことほど難しいことはないのが現実だ。今こそ商売の原点に立ち返るべき時と、時代が要請しているよう に思えてならない。





















